人生初Skeb、おなやれお先生に捧げてきました。めちゃくちゃかわいいアイコン描いてもらえて本当に嬉しいですね。家宝.psdと家宝.pngにリネームして厳重に保管しました。また同じ子で別の絵描いてもらうのもいいなぁ、Skebハマりそうですね。

地味に読んでいる本が岩波新書ぽいのが可愛いですよね。差し色の朱色が映えますね。これだ!という本が自分の中で出来たらそれを読んでる姿にしてもらうのもいいかも...ただリクエスト内容が凝りすぎると先生の負担になりそうだし、ゆるっと描いてもらえる方が嬉しいかもしれません。寒かったり暑かったりで体調崩しがちな時期なのでSkeb代で美味しいものをたらふく食べてほしいすなぁ。
乾燥する時期なのか喘息っぽい症状が軽る~くぶり返してきましたね。明日は朝病院行ってお薬もらってこようと思います。あとお世話になっている美容師さんが新天地に行かれてから一回目の散髪なので行ったことない美容院に行ってきます。楽しみ~。
今週も文喫行ってきました。先週は風邪で来れませんでしたが基本的に毎週木曜夜は文喫の日になりそう。本読む場所、という設定は読書習慣を作る段階の人間には大変助かります。わざわざ入場料払うのもいいですね、気合い入ります。18時以降は夜料金で安いのでおすすめ。

今回手に取った本はドゥルーズの尽くされた、という本とシモーヌ・ヴェイユの重力と恩寵です。


2冊を選書したきっかけはAqu4さんの読んでいた生のなかの螺旋を読んでみてめちゃくちゃよかった(まだ絶賛読んでる途中ですが)ので、哲学者の晩年の本読みながら生の吟味というものやっていき〜という気持ちで選んだのが尽くされた、という本。蓋開けてみたら結構キレキレの哲学思考の塊というか、尽くされたという人が到達し得ない最高地点の状態について語り尽くす本で、まさに哲学でした。ちょっと自分的には学びというかエッセンスの抽出が難しかったですね、早すぎたなと思いました。
尽くされた、を時間内で読み切って次何を読もうかなと思って調べていたところでおすすめされたのが重力と恩寵でした。これは今の自分に一番必要な本だと思いました。第二次世界大戦中に客死された女性の手記をまとめた本ですが、このシモーヌさんすごい人ですね。お亡くなりになったのが34歳という話なので手記の時期もそれより若い時ということになりますが、同世代の直観とは思えない思想で、戦争の壮絶さが冒頭数十ページだけで伝わってきます。
彼女はいくつか特徴的なワードで世界を捉えています。私の理解になるので誤っているかもしれませんが3つほど紹介します。タイトルにもある“重力”という言葉、これはおそらく世界や社会からの強制力というか意図しないうちに自動的に従ってしまう力や法則を指している言葉だと読み取りました。現在で言うところの資本主義によって効率や成果を求める仕組みに乗っからざるを得ない状況そのものが重力と言えるかと思います。これは下へと働く力で、ここで言う下とは生きようとすること、人の上に立とうとすること、富もうとすることなどかなと思います。
次に“真空”、個別の何かを欲することなく居る現実世界や精神状態が真空であり、神がいない領域。神が世界を創造する際の神以外領域が真空であり、そこに神はいない。神の不在性が真空の本質であり、その神の不在に耐えることが信仰であると言っているのだと思います。壮絶な解釈ですね。
最後に“恩寵”、これは真空という状態を受け入れて自我からの抵抗を手放してからふと表れる説明のつかない他者への優しさや絶望的な状況をそのまま受け止められる状態を重力によって下へと落ちながら(=社会の仕組みに流されながら)も表出させることが出来る状態...のような感じでしょうか...言語化が難しすぎる...
戦火の中で飢えに苦しみ、持病に苦しみつつ、生きるために眼の前の人間を殺さねばならない世界においてわかりやすい救いなどない。そんな世界に納得するために、世界をそのまま受け止めるための論理を信仰と精神から絞り出したような解釈です。
彼女の解釈の中で善について書かれている一文があります。
万事において、例外なく、個別の対象をこえて、欲する。真空を欲する。表象も規定も出来ぬ善など、われわれにとっては真空なのだから。だが、この真空はわれわれにとって、いかなる充溢せる善よりも充溢している。この境地に達するなら窮地は脱したのだ。神が真空を充たすだろうから。
シモーヌ・ヴェイユ. 重力と恩寵. 岩波書店, 2017, p33
この一文が彼女の見てきたものを映し出しているように感じました。人は良い/善いものを求める。しかしそれは重力の下で起きる運動(善を行いたいという欲求からくるもの)であり、真の善ではなく、自我を静めている状態(=真空)にこそ神が充ちる(=恩寵)。故に真空を求むることこそ善である...というまさに現代の偽善を貫くような一文だと感じます。(同時に自分も貫かれていて自省が尽きない...)
読んでまだ50ページほどですが学びが多すぎてページが前に進みません。信仰の力、というか不条理に抗う人間の生き方を学びたいなと信仰に関する本を軽く読んだりしておりましたが、これほど素晴らしい本に出会えるとは思っていませんでした。また読んだら続きの解釈を書いてみます。これは言語化しがいがありますね~。
資本主義という重力の中で緩やかに、ずぶずぶと下降していますが、私は自我を静められるでしょうか...人生を通して向き合っていきたいと思います。