先日リリースした恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』で、生まれて初めてシナリオを書いた。今までずっと国語が苦手で、作文は特に苦手だった。そんな私が思い切ってシナリオを書いてみたら、意外と書けた。小説数冊分の文量を、特に大きな壁にぶち当たることもなく書き切ることができた。
テトラのシナリオを書き始めたのは、2022年の10月頃。それから3ヶ月くらいで初稿を書き上げた。ちょうどその頃、ChatGPTが世間をにぎわせていた。私もすぐに試してみた。正直、AIがここまで人間らしく会話する未来がこんなにすぐに来るとは思っていなかった。
AIの反応を見るのが楽しくて、いろいろ会話をした。書き途中のシナリオの一部を読ませたりもした。のだけれど、どうもしっくりこない。シナリオに対して返ってくる応答は、薄っぺらい褒め言葉か、重箱の隅をつつくような改善提案のどちらかだった。しょうもない改善提案に対して「じゃあこれよりも良いものを書いてよ」と頼んで、改善した試しはない。
だから、結局、自分で書かなければならない。AIに適当に褒められたり、しょうもないダメ出しをされるのが嫌だから、うるせえ黙ってろという気持ちで書く。そういうことを繰り返しているうちに、なんとなくパターンのようなものが見えてくる。AIは、どこかで見聞きしたことのあることしか知らないし、言えない。これはAIの仕組みからも当然だ。最近のAIは推論能力が強化されているから、その意味では、論理的に「新しい」結論を導くことはできるかもしれない。AIが東大の入試問題を解けるのはこれが理由だ。でも、創作における「新しさ」は論理的なものに限らない。むしろ、もっと感覚的なものだったりする。そういう「新しさ」をAIは知らないし、理解できない。逆に言えば、AIの反応を見ることで、文章やアイデアの新しさをなんとなく推し量ることができる。まあ、それもあまり当てにはならないのだけれど。
AIはすごい。最近のAIは特にすごい。が、同時に、全然すごくない。このへんの感覚は、AIをある程度使い倒さないとわからないと思う。とにかく、こんなものに負けてたまるかという気持ちになる。余計な小言を言われるとムカつく。AIの書いたもの、提案したアイデアをそのまま使うことはまずない。それで面白くなるわけがない。だから、自分が書くしかないのだ。ライバルと呼ぶにはあまりに弱い。よく喋るサンドバッグである。サンドバッグはなにも生み出さない。生み出すのは、私であり、あなただ。