私の好きな人の共通点

池田大輝
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それは「子供っぽいこと」だ。

見た目が若い場合と、精神や考え方が幼い場合がある。両方とも満たしている人もいれば、どちらか一方だけを満たす人もいるけれど、傾向としては、子供っぽい人は両方を満たしているケースが多いように思う。

子供っぽさを説明するのは難しい。これはかなり感覚的な話だ。たとえば「お金の管理が苦手」というのは、私の定義における「子供っぽさ」とはあまり関係がない。お金の管理が得意な子供はいるし、お金の管理が苦手な大人もたくさんいる。舌が子供っぽい、つまり、カレーライスとかハンバーグとかオムライスとか、子供が好きそうな食べ物が好き、というのは、私の定義する「子供っぽさ」にかなり相関している。私も子供舌だから親近感が湧く。大人の味というものは本当にわからない。まあ、昔に比べれば多少は舌が肥えてきたとは思うけれど、ハンバーグと並べられたときにハンバーグに勝る「大人の味」は今のところない。

子供っぽい人の特徴として、なんとなく思いつくのは「いつも楽しそうな人」だ。これは「いつも明るい」とか「いつもポジティブ」とは違う。無理に笑顔をつくるとか、やたらと大きい声で挨拶するとか、そういうことではない。なんというか、自己満足しているのだ。自分でなにか楽しいことを見つけて、それをやって、満足して、楽しそうにしている。そのような人を見ると、子供っぽいなあ、と微笑ましい気持ちになる。楽しいことを見つける、というのはやや語弊があるかもしれない。見つけるというか、そこにあるのだ。子供っぽい人は、子供の頃から好きなものがあって、それを大人になっても大事にしている。いや、本人は大事にしている自覚すらないだろう。大事にするとかしないとかではなく、その人の中にただ、あるのだ。

私は経験がないのだけれど、「そんな子供っぽいことはやめなさい」と大人に言われ、子供の頃から好きだった趣味や遊びをやめてしまう人が少なからずいるらしい。悲しい話である。そもそも、子供っぽいことを生み出しているのは大人だ。プラモデルもフィギュアも漫画も、ほとんど大人がつくっている。子供っぽいジャンルは子供だけを相手にしているわけではない。案外、多くの大人が買い支えてくれているおかげで成り立っていたりする。子供っぽさは子供の特権ではない。子供を経験してきた大人は皆、いつでも子供の頃を思い出す自由がある。

と、こんなふうに書いてみたけれど、なんか、私の好きな人の「子供っぽさ」とは微妙にずれている。うーん。なんだろう。今、その人の顔を思い浮かべている。たしかに子供っぽい。童顔ではないけれど、どこか、あどけなさがある。なんだろう、なんとなく、大人っぽく振る舞おうとしている。ちょっと、背伸びしている感じがする。そう、あれだ、中学生みたいな感じ。明らかに子供なのに、大人の世界に手を伸ばそうとしている。届かないから一生懸命つま先で立っている。指先がぷるぷる震えている。目がちょっと涙ぐんでいる。わかる。理由もないのに涙が出てくるのだ。大人にバカにされてたまるもんか。子供にバカにされてたまるもんか。そのどちらでもいられない。不安定という言葉は落ち着きすぎている。逃げ場がない。どこにもいられない。どこかに行けなければならない。家出をしたい。でも、怖い。助けてほしい。でも、手を差し伸べられると舐められている気がする。私は世界にひとりぼっち。つらい。苦しい。逃げ出したい。と、その人の顔には書いてあった。中学生の妄想のほうがまし? 子供っぽくて大変申し訳ございません。

@radish2951
ゲーム作家。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink