余計なことを考えずに黙って手を動かせ、と今までの人生で何度言われたことか。無思考で手を動かすことこそが正しく、ぼーっとしているのは悪いことだ、と本気で思っている人も、案外少なくないのではないか。もちろん、そのように生きたいのなら、そのように生きれば良い。他人の生き方について、とやかく言うつもりはない。
ただ、私みたいに、あれこれ考えるのが好きな人もいると思う。そういう人はきっと、黙って手を動かせ、と言われるのが苦痛で仕方がないと思う。というか、どうしても余計な思考が湧いてくるから、止めようにも止められない。その結果、黙って手を動かせる人よりも作業効率が下がり、できない奴扱いされる。
そんな時代も、そろそろ終わろうとしている。この数年で、AIが急激に進化した。さすがにこれはできないだろうと思われていたことが、1年後にはあっさりとできるようになった。AIが当たり前のようにプログラムを書いている。人間があくせく手を動かす場面は減った。今後はさらに減っていき、AIをうまく監督することがプログラマの仕事になるだろうと言われている。
創作は本来、そういう行為だった。和歌を詠むことは、適当に筆を走らせることではない。月を眺めながらぼーっとしたり、二度とは会えない人のことを想ったりすることが、たとえば、和歌を詠むということだった。もちろん、筆を走らせなければ和歌は完成しない。でも、それは和歌を詠むという創作のうちの、ほんの些細な一部に過ぎない。機械やコンピュータの進化に従い、人間はより人間らしく生きられるようになる、はずだったのに、なぜか人間も機械の真似事をしてきたのが、ここ100年ほどの時代だった。
人間は思ったよりも自由である、ということを、もう少し自覚しても良いのではないか。ぼーっと考え事をしているとき、自由だなあと思ったりする。創作は、自由なのだ。手を動かさなければならないというのは、自由を形にするための、ほんの小さな不自由に過ぎない。日々書いているこのエッセィは、30分くらいで書いている。正確にいえば、23時間30分かけて書いたものを、30分で文章にしている。