「居場所をつくる」という生き方

池田大輝
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高校2年生のとき、友人とともに映画同好会を立ち上げた。映画制作を行う、学校公認のサークルだ。似た部活として放送部がすでにあったけれど、放送部がやっていたのはボイスドラマなどの「音声」メインで、「映画」を撮れる場所はなかった。だから自分たちでつくることにした。

大学では写真部に入った。本当は映画部に入りたかったけれど、映画部があまりにも堕落していたので、次点で写真部を選んだ。カメラに慣れ親しむことができるだろうという目論見もあった。いざ入ってみると、写真はそこそこ楽しかった。一方で、映画を撮りたい欲を抑えきれず、写真部の紹介PVを勝手に撮ったりした。部長権限で好き放題やらせてもらった。部員には迷惑をかけたと思う。

大学を出て、色々あってゲーム会社に就職した。映画を撮る仕事に就きたかったけれど、やりたいことをじっくりと考えた末の選択だった(やむを得ない事情も多分にある)。入社してすぐに、ゲームのPVをつくる仕事を任せてもらった。これが本当に楽しかった。それまで「映画」という枠で狭められていた視界がぐっと開けたような気がした。

そして今は、自分で恋愛ゲームを企画して、毎日のようにつくり進めている。もともと一作目は友人と二人で始めたけれど、いま制作中の二作目は大部分を一人でやっている。

こうして振り返ってみると、「なぜ恋愛ゲーム?」と思わなくもない。でも、実際のところ、とても楽しい。映画の世界に閉じこもっていたら見えなかったもの、出会えなかった人に出会えている。もちろん、ここがゴールではない。夢は広がる一方だ。

きっと、ずっと「居場所」を求めていたんだと思う。自分が少しでも落ち着ける場所、「ああ、ここが自分の居場所なんだ」と思える場所。「やりたいことができる場所」と言い換えることもできなくはないけれど、でも、どちらかといえば、そんなにアグレッシブな感じではなく、やはり「落ち着ける場所」というニュアンスがしっくりくる。

まわりを見回してみると、みんなそれなりに「居場所」を見つけているように見える。「会社がつらい」という人は少なくないけれど、それでも何年も続けているのは、傍から見れば羨ましい。

自分はそういうことができなかった。「ここは自分の居場所じゃない」と一度思ってしまったが最後、もうそこにはいられなくなる。組織の中に無理やり「居場所」をつくろうとして怒られたことも何度もあった。それがまわりの迷惑になることはわかっていた。でもどうすることもできなかった。だから、自分なりに「居場所」を探して、もし見つからなければ、つくるしかなかった。そうやって他人に迷惑をかけながら、少しでも落ち着ける場所を追い求めてきた。

そういう「居場所」を早々に見つけた人が羨ましい。「これが自分の生きる道だ」とか「この会社に絶対入りたい」という決意や覚悟を若いうちに持てるのは幸せなことだと思う。自分にはそれができなかった。

きっと、たぶん、これからも居場所を探し続けることになると思う。ゲームづくりは楽しいけれど、決してここが安寧の地だとは思わない。ゲームをつくったことで見えてきたものもたくさんある。面白そうな方向に、少しずつ進んでいけばいいと思っている。

それともう一つ。友人と二人で始め、今はほぼ個人で企画を回しているゲーム制作だけれど、ありがたいことに多くの人の協力に支えられている。音楽家の方や、声優さんの力なしでは、つくり続けようという気持ちすら持続しなかったと思う。作品に欠かせないのは当然として、作者としてもたいへん多くのインスピレーションをいただいている。

せっかくなら、自分の作品に参加してよかった、と思ってほしいと思う。そのために自分ができることは多くはない。せめて、少しでも面白いものをつくり、完成させるくらいしかできない。それが、誰かの「居場所」になる、なんて言うのはあまりにもおこがましいけれど、まあ、でも、そんなふうに思ってくれる人が一人でもいるのなら、こんなにうれしいことはない。「私の居場所」が「誰かの居場所」にもなったら、それはもう、この上ない幸せだと思う。

@radish2951
ゲームクリエイター。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』制作中。 daiki.pink