仕事ができないのは自然なこと

池田大輝
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仕事ができるかどうかがやたらと重視される傾向がある。「しごでき」という言葉は「仕事ができる人」を称揚するものであり、反対に「仕事ができない」は軽蔑のニュアンスを含むことが少なくない。仕事ができない人、たとえば報告・連絡・相談ができない人はネットで叩かれる。「私は報連相が苦手です」ときちんと報告しているのに、理不尽である。

仕事は、お金を得る対価として行うものだ。仕事はお金だけじゃないと言う人はいるが、給料は要らないと言う人はいない。やりがいとか楽しさというのはあくまで副次的なものであって、お金が関与しない仕事はただの趣味か搾取である。

生きていくためにはお金が必要で、だからみんな仕事をする。できれば仕事なんかしたくないけれど、仕方がないから仕事をする。しかし、仕事は誰にでもできるものではない、という点がなぜか軽視される。

たとえば、コンビニバイトは極めて高度な仕事だと私は思う。とにかくたくさんの業務をこなさなければならない。見るからに忙しそうだし、人手も足りないだろう。時給も決して高くない。コンビニで働ける人は本当にすごいなと感心する。自分には絶対にできない。時給1万円ならやってもいいかなと思うけれど、使い物にならず、すぐにクビになるだろう。

仕事は、需要がなければ仕事にならない。お金を払う人がいないからだ。需要があるものは仕事になる。美味しい食事を安く済ませたい。親の介護をやりたくない。仕事が大変だから誰かにやってほしい。需要が多ければ、それだけ求人も多い。だから、仕事の多くは自ずと飲食や介護やコンサルとかになる。コンサルは特にすごい。高給だし、求人もたくさんある。それだけ仕事をしたくない人が多いということだろう。

しかし、そのような仕事は誰にでもできるものではない。学生時代に飲食店でアルバイトをしたことがある。いくつかの場所でバイトをしてみて、飲食は自分には無理だなと悟った。介護も見るからに簡単ではないだろうし、コンサルは極めて高いレベルの基礎能力が求められる。コンサルの仕事を見たことがあるが、高い給料をもらっているだけはあると思った。

このような観察から、「できる仕事」に就くことは結構難しいといえる。よくお笑い芸人が「お笑いだけでは食えないからアルバイトをしている」と言うけれど、アルバイトで食えているのはすごいことだ。バイトなんか誰にでもできると思うのは、バイトを舐めている証拠だろう。

自分にできる仕事、という条件を満たすことは簡単ではない。だから、能力が不足しているかもしれないと自覚したうえで、妥協して仕事を選ぶ。そして案の定、能力不足が露呈して、結果的に「仕事ができない人」になってしまう。もちろん、ある程度は実務経験を積み重ねることでカバーできるだろうけれど、そのポテンシャルにも当然、差はある。

「仕事ができない人」を非難できるのは、きっと、自分にぴったりな仕事を見つけることのできた幸運な人だろう。それだけ仕事ができる人が、仕事ができない人を非難する理由はよくわからない。たぶん、仕事がすぐに終わってしまうから、時間を持て余しているのだろう。暇な時間でバイトでもやってみれば、素晴らしい社会貢献になると思う。

@radish2951
ゲーム作家。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink