社会とはなにか? 私には社会というものがよくわからない。よくわからないものに適合していてみんなすごいなと感心する。
社会というものを私なりに言語化してみるならば、「私以外の人間の集まり」といったところか。もしかすると、社会に「私」を含めるほうが普通なのかもしれない。個人的な感覚では、私は社会の中にはいない。
社会が他人の集まりだとするならば、社会に適合できないのは当たり前ではないか。私は私以外の人間とは違う。私とあなたも当然、違う。私は私のことさえよくわからないのだから、まして他人のことなど知るはずがない。そんな、身元不詳の大勢の他人からなる社会という名の分厚い雲に適合できて当たり前、という価値観は、かなり歪んでいるように思う。
社会というものを皆、ほとんど意識せずに生きている。現代社会は整備され、システム化され、構成粒子である無数の人間を透明化してきた。それ自体は悪いことじゃないと思う。けれど、整い過ぎてしまったがために、ただのシステムに成り下がった。システムにぴったりはまる部品は適合品として扱われ、はまらなかったら不適合。そうやって単純化したほうが効率が良い。大企業に行くとよくわかる。個性を発揮、なんて言いながら、個性など求められていない。部品検査に合格することが大前提で、個性というものは、合格した部品を塗装するインクに過ぎない。インクのカラーバリエーションこそが多様性だと本気で信じている人が少なくない。検査で弾かれた不適合品は多様性には含まれないらしい。
社会というものを、なぜそこまで絶対視できるのか、私には理解できない。神を信じるほうが遥かに理に適っている。神は、正しく信じる者にとっては真に絶対的な存在であるが、社会は、複雑で神秘的なこの世界を単純化した、粗末な模式図に過ぎない。厚生労働省のサイトに行って、社会保障について書かれた資料を適当に読んでみると良い。意味不明な図がたくさん載っていると思う。それが社会だ。適合できなくて当たり前だ。