池田版スマブラをつくる

池田大輝
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公開:2025/5/10

ゲームであれ映画であれ、あるいはほかのメディアであれ、作品を統括する役割は大きく監督とプロデューサーに分けられる。監督は、簡単に言えば作品の内側に責任を持つ人だ。どのようなストーリー、演出、見た目にするか。ユーザーが触れるあらゆる部分を監修し、全体を統括する。対して、プロデューサーは作品を外側から守る人だ。監督やほかのスタッフが全力を出せるように環境を整備する。出来上がった作品をユーザーに届ける。プロデューサーなくしては作品は誰にも届かない。

私はずっと監督タイプだと思って生きてきた。大学生くらいまではずっと映画を撮っていて、自分でストーリーを考えて、自分でカメラを回し、自分で編集する。そういうことをずっとしてきた。一方で、プロデューサー的なところ、たとえばお金を集めたり、人を集めたり、広く宣伝したり、そういうところにはずっと苦手意識があった。自分自身を、あるいは自分の作品を売り込むことがうまくできず、悔しい思いもしてきた。だから、弱点を克服するために、プロデューサー的な相方を探してきた。今も探している。

のだけれど、たぶん、本当は、私はめちゃくちゃプロデューサー気質である、ということを自覚しつつある。自覚するだけではなく、他人からも言われるようになった。きっと、そうなんだろう。

面白い作品をつくりたい気持ちは当然ある。作家性を発揮して、ほかの人が絶対につくらないようなものをつくりたい。このあたりは監督っぽいと思う。同時に、「ほかの人には絶対にできないことをこの人にお願いしてみたい」という気持ちも同じくらい、あるいはそれ以上に強い。私が個性を発揮するのではなく、ほかの誰かに「個性を発揮させたい」欲求があるのだ。

そして、おそらく、私にはそのほうが向いている。つまり、私が一人で作家性を発揮しまくって、孤高の天才監督みたいにもてはやされるのではなく、世界のあちこちに散らばっている孤高の天才を集結させて、いわば「池田版スマブラ」をつくるのだ。

一人でなんでもできる人間ではなかったのだと知ることは、ある意味では絶望だった。自分は新海誠みたいなタイプではなかったのだ、と。正直、ショックだった。けれど、それは必然だったのだと思う。人間は皆、できることしかできない。当然だ。もちろん、思いっきり努力すればできないと思っていたことができるようになることもある。だから、思いっきり努力すれば新海誠みたいになれる可能性もゼロではない。それでも、あえてそこを目指したいとは、今はあまり思わない。それよりももっと実現可能で、面白そうで、しかも私にしかできなそうな野望を見つけたのだ。ならば、あとは突き進むだけ。

スマブラの新ファイター発表にわくわくする人は少なくないと思う。そして、おそらく、制作者サイドはその何倍もわくわくしていると思う。そういうわくわくが、私にも少しずつわかるようになってきた。ちゃんと形にして、届けられたらうれしいな。時間はかかるかもしれないけれど、待っていてください。ファイターの皆様におかれましても、何卒ご参戦のほどよろしくお願い申し上げます。

@radish2951
恋愛ゲーム作家。エッセィを毎日更新しています。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink