この人、大人だなあ、と思ったら年下だった、ということがよくある。あまりにも大人っぽすぎて、年下であることをうっかり忘れそうになる人もいる。いろんな経験をしたのだろうな、と思うと、途方もない気持ちになる。悔しさよりも、恐ろしさが先に来る。
私はどう見られているのだろうか。文章だけを読めば、少しは大人っぽく見える? 大人である自覚は全くない。いつになれば大人になれるのだろうか。あるいは、大人になりたいだなんて、これっぽっちも望んでいないのかもしれない。大人になるというのがどういうことなのか、よくわからない。
大人は自由だ。自分でお金を稼ぎ、そのお金で好きなことをする。教室の椅子に縛り付けられている学生時代に比べれば、ほとんど何をしても許される。大人っぽい人は、自由を謳歌している。
社会の理不尽を飲み込んで、好きなことを我慢するのが大人だ、という風潮がある。もちろん、好きなことをやるためには、ある程度の我慢は必要だ。でも、我慢するばかりで、好きなことを忘れてしまった大人も結構いるらしい。
大人っぽい人は、みんな楽しそうに見える。自分の人生を生きている。文句や愚痴を言わない。大人なら文句や愚痴を言うな、と言いたいのではない。別に言っても構わないけれど、それで人生が豊かに、楽しくなるとはあまり思えない。人生を楽しく生きるのは、それなりに難しいのだと思う。
いま、これを書きながら、二人の顔を思い浮かべている。一人は年齢を知っていて、年下。もう一人は年齢を知らないけれど、たぶん年下だと思う。二人とも、とてもしっかりしている。自由に生きているように見える。そう、自由。何事にも縛られず、いや、実際には縛られているのだろうけれど、そんなそぶりは見せず、ただ自由に人生を生きている。本当に尊敬する。
自由に生きるとは、のほほんと生きることではない。それなりに努力して、自由を維持しなければならない。努力して自由を手に入れれば、次の自由が手に入りやすくなる。そうやって、アグレッシブに生きている。
大人っぽい人は、本当は子供っぽいのだと思う。子供のように生きる姿が、大人っぽく見えている。無理に大人を演じる人は、大人でなければならないと自分に言い聞かせているように見える。本当は、無理に大人になんかなる必要はない。自分の人生をただ素直に楽しめればそれで良い。子供のように自由な心で、大人のように自由に生きる。そんなふうに彼女たちは見える。