仮眠をして、夢を見た。憧れのライバルが夢の中で歌っていた。その人は歌がうまい。正確には、歌もうまい。ほかにもいろんなことができる。この人はこんなにすごいのに、自分はすやすやお昼寝か、と、情けない気持ちになって目が覚めた。
自分には才能がない。それはずっと前からわかっていたことで、それ自体はショックではない。長い時間をかけてわかったことだ。いろんな才能に出会いながらも腐らなかったのは多少の才能といえるかもしれない。すごい人たちは本当にすごい。それは才能だけによるものではもちろんなくて、努力をして、幸運に恵まれて、人を惹きつける魅力があったからこそ、その場所に立っている。なんというか、途方もない話だ。
私は、高いところにある物体を見るのが怖い。ヘリウムガスが充填された風船や、凧揚げの凧、ドローンなどが空高く飛んでいくのを直視できない。なんだか、ものすごくぞっとする。飛行機など、高すぎるものは大丈夫。自分が高いところにいるのも、それほど怖くはない。小さい頃からずっとそうだった。共感されたことは一度もない。
もしかすると、自分よりも高い場所にいる人を同じような恐怖の目線で見ているのかもしれない。近くにいると思っていた人が、ぐんぐんと高度を上げていく。そこには嫉妬や羨望もなくはないけれど、どちらかといえば恐怖が大きい。月や太陽のように神格化できる対象なら、恐怖を感じない。それらは最初から違う世界の存在だから。傍を離れて、途方もない場所へ向かっていくまさにその背中が怖い。もはやこの世界にはいないのだと思い知らされることが怖い。とっくに別の世界にいて、それでも地続きだと錯覚してしまうことが怖い。
そう思うと、私を突き動かしているのは、情熱や夢などではなく恐怖なのかもしれない。高い場所を見るのが怖いなら、足元だけを見て歩くか、同じ高さまで行くしかない。同じ景色を見たいという気持ちは、純粋な憧れではなくて、そうしなければならないという強迫に近い。同じ景色を見て、なるほど、こういう感じなのか、と思ってみなければ気が済まない。そういう人間なのである。
才能はなかった。だから、見よう見まねでボロ飛行機をつくって、飛ばしては墜落して、満身創痍になりながら、なんとか生きている。空を見て、きれいだなあ、で済む性格ならどれほど楽に生きられただろう。私は小鳥でも鈴でもない。それなのに、なぜか空に憧れて、可憐な歌声に心がざわついてしまうのだ。