憧れの人のインタビューを見たり聴いたりすることは、どちらかといえば苦手だ。私は新海誠監督のファンだけれど、新海さんのインタビューを読んだことはあまりない。むしろ、新海さんをデビュー初期から支えてきた川口典孝プロデューサーのインタビューばかり読んでいる。
お笑いコンビのジャルジャルのお二人は、インタビューで嘘をつきまくる。素で話しているようで、実はコントのキャラで話している。きっと、恥ずかしいのだろう。気持ちはわかる。真面目な話は、聴いているこっちも恥ずかしいからだ。
真面目に話すことがダサい、ということではない。真面目にやってくれたほうがファンとしてもうれしい。けれど、真面目な姿は、直視できないのだ。
したがって、ファンなのにその人のことをよく知らない、というケースが私は多い。だから、ファンを公言することにはためらいがある。新海さんは、もう長いこと追いかけているから、おのずと多くを知っていて、ゆえにファンを名乗ることに抵抗はない。でも、新海さんくらいだ。
作品を通してその人を知りたい。新海さんのインタビューは読んでいないけれど、新海作品は全部観ている。ジャルジャルのラジオは聴いていないけれど、YouTubeのコントは毎日観ている。その人の素ではなく、その人がつくったものをみたいのだ。
もしかすると、防御本能に近いのかもしれない。人間として近づきすぎたばかりに、その人を嫌いになったり、その人に嫌われたりすることが怖いのかもしれない。可能性は否定できない。けれど、偶像として崇拝しているわけでもないと思う。
いま、書いていて思ったけれど、私は、たぶん、クリエイター以外の人を尊敬したり好きになったりすることができない。その人が生み出したり、命を吹き込んだ作品を通してしか、その人に触れることができない。ある意味では、臆病だと思う。その人に向き合うということから逃げている。でも、それはお互い様だ。その人もまた、作品を通してしか、世界とコミュニケーションすることができない。眩しすぎて直視できない、と思い込んでいるのは、案外、その人も同じかもしれない。