「しずかなインターネット」にエッセィを書いている池田大輝は池田大輝ではなく、ゴーストライターである。というのはちょっと大袈裟かもしれないけれど、半分くらいは本当だ。
これを書いているのは、エッセィスト・池田大輝という「キャラクター」だ。普段、生活しているときの私とは違う。簡単にいえば「仕事モード」である。ただし、イラストを描くときや映像をつくるとき、また、同じ文章であっても、シナリオを書くときは、別のモードに切り替わる。同じ人間が全てを担っている感覚はあまりない。少し前に書いた文章やイラストを見返して、「本当に自分が書いたのか?」と思うことがよくある。
人と話すときも、微妙に違うキャラクターになる。微妙どころではない。結構、違う。かなり相手に合わせる。高校や大学の同期はみんな頭がいいから、彼らと話すときは思考が抽象的になり、議論に近い話し方をする。妹と話すときは、もっと具体的で、日常的な話し方をする。会話のスピードや声のトーンも変わっているかもしれない。
これを意識するようになったのは、つい最近のことだ。今までは、キャラに入っている自覚はほとんどなかった。就活の頃なんかは、友人から「結局なにがしたいの?」などと詰められていた。たぶん、人格がひとつに定まっていなかったのだと思う。あるいは、就活なら就活用のキャラクターを用意すべきところを、そこまで割り切れなかったともいえる。演じている自覚がなかったからこそ、演じることができなかったということか。
いろんなキャラクターを演じることが楽しいと思えるようになったのは、恋愛ゲームをつくり始めてからだ。ゲームには複数のヒロインが登場する。彼女たちのセリフや言動を文字に起こすのがシナリオライターとしての私の役割だ。厳密には演じているわけではないけれど、キャラクターの思考や感情をトレースするのは演技に似た楽しさがあると思う。文章を書くことはずっと苦手だったけれど、キャラクターに入ればすらすらと書けることがわかった。
そう、楽なのだ。一度キャラクターに入ってしまえば、キャラクターとして話したり書いたりすれば良い。本体がなにを考えているとか、なにに困っているとか、そういうことを気にせずに済む。就活でうまくいかなかったのもこれが原因だろう。就活では、いくらキャラクターを演じたとしても、本体のスペックやスキルを無視できない。演じたまま、何年も働くのは現実的でない。それをわかっていたから、演じることを最初から諦めていたのだ。一方で、文章を書いたりイラストを描くのに特別なスキルは要らない。そこにいるキャラクターや、そこにある世界をよく観察して、文字や線に写し取れば良い。本体は、なにもする必要がない。
と、本体が眠い目を擦っている間に、いつの間にか文章が出来上がっている。エッセィスト・池田大輝はよく働いてくれる。この段落だけは本体が書いている。てことにしといてあげよう。