なぜよりによって東工大を選んでしまったのか

池田大輝
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公開:2025/6/3

私は東京工業大学(現東京科学大学)生命理工学部を卒業した。そのまま大学院にも入ったのだけれど、修士1年の秋頃に休学し、同期が修士を卒業するタイミングで中退した。なぜ休学したのか。それは映画を撮るためだった。

中学を卒業する頃から映画を撮り始め、高校では友人と一緒に映画同好会を立ち上げた。大会に応募し、賞をいただいた。テレビにも出た。そのまま映画の道に行けたら良いな、と思っていた。しかし、進んだ先は東工大だった。理系の極みみたいな場所である。映画を撮りたくて東工大に来る人が私以外にいるだろうか。

大学受験では、前期で東大、後期で東工大に出願した。それ以外の大学には出願していない。私大の受験にはお金がかかるからだ。塾や予備校にも一切通わなかった。結局、東大は落ちて、慌てて東工大の受験勉強を始めた。受験科目には生物が含まれていた。高校で生物なんて一切学んでいない。仕方がないから、生物選択のクラスメイトから教科書を借りて、1週間で高校生物を詰め込み、その結果、無事後期で合格した。後期は総合問題みたいな感じだった。細かい知識や計算ではなく、科目を横断した総合的な思考が求められる試験。これが私には合っていた。前期では絶対に受かっていなかったと思う。

こうして、映画を撮りたかったはずなのに、なぜか東工大に入ってしまった。東大と東工大に出願したのは、先生から「できるだけ偏差値の高い大学に行っておいたほうが良い」と言われたから。東大から映画は行けなくないが、逆は無理、という理屈である。反論できなかったし、それに、美大や映画学校に進むのもなんか違うな、という直感が高校生ながらにあった。

しかし、それにしても東工大である。なぜ、よりによって東工大なのか。東北大学とか横浜国立大学という選択肢もあったはず。私の好きな岩井俊二監督は横浜国立大学の出身である。東工大に入って後悔したことはそれなりにある。まず、ほぼすべての東工大生は文系を見下している。文系教養科目を真面目に受けることは時間の無駄だとみんな思っている。そんな環境にいたから、映画という文学的、芸術的行為に対して少なからず捻くれた意識を持ってしまった。当然、映画を撮りたい人もいない。入学してすぐ映画部に見学に行ったところ、全自動雀卓の魅力を熱弁された挙句、「映画やりたいなら慶應とか行ったほうがいいよ」と言われてしまった。あとは、技術こそが自分の強みだと勘違いしてしまったのも大きい。理系的な、技術を活かしたメディアアート的な表現こそが武器だと思い込んだ時期があった。結果的に、中学高校で感じた映画制作の喜びから、悉く遠ざかってしまった。

やりたかったことの対極みたいな場所に身を置いてしまった後悔は大きい。若手映画監督を支援する国のプロジェクトかなんかに応募しようとして、「あなたの大学は映画とは関係ないでしょう」と言われたショックは今でも覚えている。早稲田や慶應だったらそんなことは言われなかったはずだ。大学の中にも外にも居場所がない。理解者もいない。いや、もし、私が高校時代の純粋な気持ちをもう少しでも保てていたら、あるいは、共鳴してくれる人はいたかもしれない。けれど、東工大という環境に冒された卑屈な精神は、あらゆる人を遠ざけてしまった。

簡単に言えば、サンクコストだ。普通の東工大生にできることが私にはできない。偏差値の高い大学に進んでおけば潰しがきく、なんて一般論は間違っていた。やりたいことから遠ざかろうとした代償のほうが遥かに大きい。ということに、最近になってようやく気づいた。もっと若いうちから、そういうことを言ってくれる大人が一人でもいれば良かったのに。私が本気で映画を撮ろうと思っているだなんて、誰も信じてはくれなかった。今は恋愛ゲームをつくっているけれど、劇場映画化は本気で考えている。どうすれば実現できるのか、そのためにできることを少しずつやっている。もちろん、映画はゴールじゃない。これだけ遠回りしたのだ。ほかの映画監督と同じ場所を目指しても仕方がない。東工大に進んでしまった後悔は大きいけれど、東工大出身の恋愛作家という肩書きの多少の面白さに免じて赦してあげないこともない、と思う程度にはポジティブで、諦めの悪い人間である。

@radish2951
恋愛ゲーム作家。エッセィを毎日更新しています。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink