2011年3月11日の想い出

池田大輝
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公開:2025/3/11

あの頃はまだ高校生で、その時間は物理の授業の最中だった。突然、みんなの携帯のアラームが鳴り響いて、おじいちゃん先生が「うるさいぞ」とぼやいた数秒後に、大きなうねりのような揺れが教室を襲った。全員、校庭に避難させられて、その日はすぐに帰された。

当時、付き合っている彼女がいた。その日は彼女と一緒に帰ったと思う。雪の日だった。当時は彼女のことが本当に大好きで、今思えば、それは思春期におけるある種のコントロール不能な昂りに近いものだったのかもしれないけれど、そのようなことを自覚できるはずもなく、ただ、ほとんど本能に近い、生々しい感情に支配されていた。地震による早退という特別なイベントのせいで、その日の体温はいつもよりも上がっていた。

彼女のことは今でも覚えている。それくらい好きだった。けれど、あの地震の日を境に、彼女との関係にも少しずつ亀裂が生じていった。それがどのように進行していったのかは思い出せない。ただ、彼女が離れていってしまうことが怖くて、悲しくて、不安で、繋ぎ止めておかなきゃ、という強烈な、強迫的な気持ちが、テレビ越しに見る津波のように、心を押しつぶしていた。

いつ、どうやって別れたのかは全く覚えていない。みっともない別れ方をしたことだけは覚えている。彼女を傷つけたし、自分も傷つけた。本当に情けない姿を晒していたことだろう。あまりにも惨めな想い出だから、防衛本能があの頃の記憶をほとんど消してしまっている。生々しい気持ちはほとんど消えて、ただ、付き合っていた、好きだった、とかいう、せいぜい言葉にできる程度のことしか思い出せない。

あの地震がなければ——今でも彼女と付き合っていたかもしれない。あるいは、結婚していたかもしれない。本当に、それくらい、好きだった。そういうちっぽけな色恋沙汰も含めて、あの地震はなにもかもを変えてしまった。でも、当時は、やっぱり、それはどこか他人事で、奥羽山脈を挟んだ遠い場所の悲劇だと思っていた。けれど、たぶん、本当はそうではないということを、ここのところ、なんとなく思う。

他人の痛みを知るということを、想像するということを、あれから10年以上が経って、少しずつ、わかってきた気がする。それを知ったからといって、すぐになにかができるわけではないけれど、知ることで、想像することで、見えてくる景色がきっとある。その先に幸せが保証されているとは限らない。おぞましい光景を目にするかもしれない。それでも、知ろうとすること、想像することはできる。それは、簡単なことじゃない。だからこそ、大切なんだと思う。

@radish2951
ゲーム作家。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink