「自分よりも賢い人が好き」

池田大輝
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公開:2025/2/20

私は東京科学大学(旧東工大)の出身であるが、大学の同期にはこのタイプがかなり多い。もっとも、「自分よりも賢い人が好き」ではなく「自分よりも馬鹿な人が苦手」と言うことが多いけれど。

大学の同期はみんな頭が良い。数学や理科は当然のように得意だし、論理的に、戦略的に考えることができる。だから、そんな彼らよりも賢い人というのは世間的には多くないと思われる。そういう事情もあってか、研究室の中で付き合ったり結婚したりするケースが珍しくない。少なくとも知的レベルの観点でいえば、学外よりも学内のほうが理想の相手に出会える確率が遥かに高い。

個人的なことをいえば、賢い人よりも、自分の頭で考えられる人がいいなと思う。それを賢さと呼ぶのかもしれないけれど。考えた結果の答えが正しいかどうかは大した問題じゃない。自分は馬鹿だから、と、最初から考えることを放棄することのほうが問題である。

賢かろうとそうじゃなかろうと、自分の頭で考えることは誰にでもできる。それを実行するために必要なエネルギーは人によって違う。私は考えごとをするのが好きなタイプだから、考えることは全く苦にならない。みんな、同じように苦でないとは思わない。

それでも、というか、だからこそ、考える人は好きだ。人が考えているところを直接観察することはできないから、代わりに、その人の思考の痕跡が見えるものを見るのが好き。たとえば、文章とか、イラストとか、写真とか。上手いかどうかは関係がない。むしろ、「こうすれば上手く書ける!」という方法論に踊らされて、上手く書かれたものには興味がない。そのような方法論を一切無視して、その人の頭の中から湧き出てきた純粋な思考を見たいのだ。そういうものを見せてくれる人は多くない。

思考の痕跡とは、ある意味ではきわめてプライベートでセンシティブなものであるから、迂闊に他人に見せられない。でも、それを見せることを生業にしている人もいる。最近は、哲学者や思想家の人たちをフォローすることが増えた。なにをどう考えているのか。彼らは考えるだけではなく、言葉にするのも上手い。明晰に、しなやかに、思考し、言語化する。

それでも。個人的には、もっと生々しい思考のほうが好き。嫉妬。羨み。コンプレックス。今にも自分を飲み込んでしまいそうなどす黒い感情の海を泳ぐように、思考し、行動し、言葉にする。言葉にできなくてもいい。言葉は数ある情報伝達手段のひとつに過ぎない。アウトプットは必ずしも美しくないし、整理されていない。それが、むしろ自然なのだ。誤字。声の震え。ピントのずれ。それらは些細なうっかりミスであり、同時に、たしかに刻まれた、思考の轍なのだ。

賢さとは、言い換えれば、効率の良さである。賢い人ほど最小限のインプットで最大限のアウトプットを得ることができる。そのように賢く生きる人はいる。その意味では、どちらかといえば、賢くない人に惹かれる。というシンプルな結論を導くために、このように遠回りな文章を書いてしまう私もまた、賢い人間ではない。

@radish2951
ゲーム作家。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink