結婚をする合理的な理由はほとんどない。子供を産み育てることは結婚せずとも可能であるし、結婚による多少の節税とか節約のメリットは、その重みに比較するとほとんど些末に思われてならない。
なぜ結婚をするのか。きっと「この人と結婚したいと思ったから」以外に理由はないのだろう。私は結婚をしたことがないので、すでに結婚している友人たちからの話を聞いたうえでの推測だ。友人の中には、きわめて合理的で、論理的に考えるタイプもいる。というか、そのタイプが私のまわりには多い。そういう人が、合理的な理由もないのに結婚をするのだ。合理的な理由もないのになぜ結婚をするのか。興味はあるけれど、祝いの席でそのように野暮な質問をしない程度には常識的な人間である。
合理的に考えれば、結婚をする理由はほとんど見当たらない。ひとりで生きていくことは全然可能であるし、そのような人は増えている。それでも、結婚する人の数はかなり多い。そもそも、結婚という制度は世界中で広く、そして長く受け継がれてきた。DNAに刻み込まれているといっても過言ではない。しかし、DNAだけでは、結婚を説明することはできない。子孫を残しさえすれば生物学的にはミッションクリアだからだ。むしろ、結婚などせず、無秩序に繁殖するほうが(短絡的には)子孫をたくさん残すことができる。
合理的でないものは世界にたくさんある。趣味などはその例だろう。しかし、その中でも突出して非合理的であって、なおかつ多くの人間が共通して行う契約行為、それが結婚だ。そう、契約。人生をかけて、あなたを愛し続けますと誓い、契約する。あまりに非合理的で、あまりに重い。
世界はどんどん合理的な方向に進んでいく。結婚という行為は、合理的な世界の中で唯一、非合理を許された聖域である。人間は非合理的な生き物だ。AIが人間を支配したとしても、AI同士で結婚することはないだろう。人間の、生命の神秘を集約した特異点=シンギュラリティ。だから結婚は特別なのだ。