承認欲求という言葉がある。誰かに認められたいという気持ち。わからなくはない。
誰でもいいから認めてほしいのであれば、候補者は簡単に見つかる。あなたの親は、余程のことがない限りあなたを承認するだろう。友達も、基本的には理解者であり承認者である。会社に勤めているのなら、一度くらいは上司に「承認」してもらったことがあると思う。
そういうことじゃない、と言いたくなる気持ちはわかる。世界に認められたい。みんなに認められたい。こればかりは、正直、どうしようもない。仮にあなたがイラストレーターだとして、路上でライブペインティングをしたとしよう。絵を見てほしい。上手だねって言ってほしい。立ち止まる人はほとんどいない。100人に1人が立ち止まればかなりすごい。もちろん、そんなにうまくいくことはまずあり得ない。
これがネットになると、見られて当たり前だという思い込みが生じる。SNSの弊害、いや、むしろそれが狙いだろう。インプレッションやいいねの数がこの世界のすべてであり、それらを増やすために広告を出せと煽る。ありもしない「世界からの承認」という幻想を、私たちは売りつけられている。ネットだけじゃない。電車に乗ってもそれは同じ。脱毛すれば、整形すれば、英語が話せれば、誰もがあなたを認めてくれる。そのような幻想に、私たちは慣れきってしまった。
承認欲求が悪いとは思わない。けれど、少なくとも、世界が認めてくれる、なんて幻想は捨てるべきだ。どんなアイドルだって、知らない人のほうが多いのだ。誰かに認められたいと思うのなら、「誰か」をひとり、決めてみよう。誰でもいい。ひとりを決めることは結構難しい。その人に認められることはもっと難しい。だから、最初はぐんとハードルを下げて、「その人に名前を覚えてもらう」くらいでどうだろうか。これだけでも、そこそこ難しいと思う。もちろん、「誰か」の選び方にも依る。さて、あなたは誰を選ぶ?