しずかなインターネット

日記やエッセイにちょうどいい
文章書き散らしサービス

ログイン

文学的すぎる?

池田大輝
·
公開:2026/7/31

今年の秋にとある学会で口頭発表をすることになり、その演題抄録を提出したところ、査読者からレビューが返ってきた。要約すると「論理性に欠け、表現が文学的すぎる」とのこと。たしかに、と思って反省し、修正した。思っていたよりもお堅めな学会だったようである。学会で発表するのはこれが初めてで、勝手がわからなかったのもある。

論理性に欠けるのはわかるとして、文学的であるとはどういうことなのだろう? 少なくとも査読者は、私の書いた文章を少なからず文学的だと思ったということだ。文学の定義はよくわからない。読み手が文学だと思えば文学、を定義に採用するならば、私の投稿した抄録は、れっきとした文学作品だったということになる。書き忘れたけれど、もちろん文学の学会ではない。医療系の学会である。そのような場で意図せず文学作品を生み出してしまったのだとすれば、なんとも光栄なことである。

文学というものがよくわからない。このエッセィは、少なくとも文学のつもりで書いていない。では何かと問われると困る。エッセィは、エッセィである。思うに、文学を定義するのは書き手ではなく読み手である。文学研究者の多くは、自ら小説を書いたりしない。ただひたすらに本を読む。その営みもまた文学なのだろう。本は書かなければ生まれないが、文学は読まれなければ生まれない。誰にも読まれない本は、存在しないのと同じ。「存在」の定義にも依るけれど。

論理的でなく冗長である、くらいの意味で、査読者は「文学的」と書いたのだと思う。ちょっと、文学に失礼ではないか。文学のすべてが論理的とは限らないが、論理は文学の中にごく自然に存在している。小説の登場人物は、雨が降ったから傘を差すし、悲しいから泣くのである。感情的であることと、論理的であることは矛盾しない。相手の気持ちを考えず、論理を振りかざす態度は、きわめて感情的であるといえる。査読者にボロクソに書かれた腹いせに私がこのエッセィを書いている、と想像することもまた文学だろうか? だとすれば、やはり光栄である。

@radish2951
恋愛ゲームをつくっています。毎日21時頃にエッセィを更新しています。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink