コンカフェ嬢という職業がある。要するにカフェの店員のことらしいけれど、ただの店員ではなさそうだ。イラストレーターの岸田メル先生は、コンカフェを経営している。私は岸田メル先生をフォローしているので、岸田メル先生の経営するコンカフェの情報が絶えず飛び込んでくる。女性店員の自撮りがたくさん流れてくる。カフェの店員がなぜ自撮りを上げるのか不思議だったけれど、おそらくあれは半分アイドルみたいなもので、店員目当てで来店する客、すなわちファンを取り込みたいのだろう。高校生でも働けるらしいが、大丈夫なのか。
誰でもアイドルになれる時代である。テレビに出たり武道館でライブするだけがアイドルじゃない。歌わなくても、踊らなくても、ファンを増やすことができる。その人個人を好きになり、会いに来てくれるファンがいる。考えてみればすごいことだ。
アイドルになれるかどうかは、覚悟の問題でしかない。事務所に入らなくても、個人でアピールする場はいくらでもある。競合が多いから、簡単には売れないだろう。それでも、努力と工夫でのしあがることはできる。なにをやるもやらないも自由だ。あとはやるかどうかだけである。
きっと、コンカフェで働く人は、相応の覚悟があるのだろう。ネットに自撮りを上げまくるのは誰にでもできることじゃない。それがその人にとって自然なことだとすれば、それは紛れもない才能だ。才能に裏打ちされた覚悟ともいえる。
覚悟は、他人からは見えづらい。当たり前のようにやっていることが当たり前じゃなかったりする。本人ですら、それが覚悟であると気付かない。それくらい肝が据わっている姿が、ファンを惹きつけるのだろう。覚悟を決めたから、アイドルになれるのだ。
覚悟とは、それ以外を捨てろという意味ではない。むしろ逆だ。いろいろなものを大切にしながら覚悟を決められる時代になった。コンカフェ嬢は、大学生も多いらしい。学び、働き、アイドルもやる。素晴らしいことだと思う。
覚悟は、他人に見せるものじゃない。見せてもいいけれど、意味がない。ただその人の中でロウソクの火のように燃えている。その炎がどれだけ大きかろうと、あるいは小さかろうと、他人からは絶対に見えない。見えるのは、内燃機関によって駆動するその人自身だ。
だから、覚悟について語ることも同じくらい無意味だ。持てと言われて持てるものじゃない。他人にあれこれ言われることでもない。ただひたすらに、その人の問題なのだ。
と、かなり発散してしまったけれど、要するに、コンカフェ嬢にはどこか、そういう覚悟を感じるということ。そのような職業は多くはない。コンカフェ嬢なら誰にでも覚悟を感じるわけでもない。というか、コンカフェに行ったことはないので、大いに私の妄想である可能性もある。ただ、なんとなくいいなと思った。それだけ。なれることなら、なってみたかった。