直感だけで生きてみる

池田大輝
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公開:2026/2/22

直感は、結構複雑なものである。お寿司とラーメンを提示されたとき、なんとなくお寿司かな、と思う心理を直感と呼ぶことが多いようだけれど、直感はそれだけじゃない。ラーメンでなくお寿司を選んだということは、ラーメンを選ばなかった理由も直感の中に含まれる。「なんとなく」のニュアンスも見過ごせない。ラーメンを諦めきれない理由もまた、直感の中に含まれている。

それだけの情報処理を、人間はほんの数秒のうちに頭の中で行うことができる。生物として本能的に備わっているものもあれば、後天的に獲得したものも多い。たくさんの経験の蓄積が、迅速な処理を可能にしている。

逆に、じっくりと論理的に考えることは、人間にはあまり向いていないのではないか、と思う。複雑なロジックを解くのは、コンピュータやAIのほうが明らかに速い。まれに、論理的な計算が恐ろしく得意な人がいて、そのような人は数学者になったりする。

私は、ついあれこれ考えがちな人間だ。そこまで考えなくて良いようなことについて、時間をかけて考えてしまう。考えた割に、うまくいかないことも多い。完璧な戦略を練って絶対にこの会社に受かるぞ、と思って受けた会社はことごとく落ちた。履歴書やエントリーシートを適当に書いた会社のほうが、面白がってくれることが多かった。

そのような経験をいくつも経て、直感だけで生きることを決めた。直感に素直に従うほうが、人生はうまくいくと気づいた。ただし、直感に従うことは簡単じゃない。それは、ある意味では信仰に似ている。こっちだ、と囁く内なる声を聴くためには、その声を信頼しなければならない。信じることができなければ、従うこともできないのだ。

直感を信じるためには、「私」の限界を認めなければならない。「私」の能力を信じきっているうちは、「私」がすべての困難を解決できると思っている。学生時代の私がそうだった。すべて問題は論理的に解決することができるはずで、計画がうまくいかないのは、私ではなく不完全なこの世界が悪いのだ、と。

もちろん、そのような生き方も悪くはない。そのように生きている人もいるだろう。私は、そのようには生きられなかった。さっき、内なる声と書いたけれど、正確には少し違う。直感は、私の外側にあるものだ。つまり、直感は私の一部ではない、ということ。

生物学的にいえば、直感を信じるも信じないも、さほど違いはない。発火するニューロンが少し違うくらいで、あとは、人生がうまくいこうがいくまいが、ひとつの個体が生まれて死ぬ。ただそれだけのことだ。だから、好きなように生きれば良い。誰かを好きになることも、好きな人を愛することも、もし直感がそう囁くのなら、その声をただ聴けば良い。声をただ聴くことは、直感を信じることよりも、あるいは難しいのかもしれないけれど。

@radish2951
恋愛ゲーム作家。毎日21時頃にエッセィを更新しています。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink