選ぶ側と選ばれる側

池田大輝
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公開:2026/4/28

最近、いろいろな審査の類に応募している。そうそう、ちょうど1週間前にとあるオーディションを受ける話を書いた。あれは、そこそこ上手くいった。思いがけない成果を得た。もったいぶった書き方をしているのは、詳細を書けないからである。いずれにせよ、大きな一歩だったことには間違いない。早く企画書を仕上げないと。

応募しようとしているのはそれだけじゃない。直近で締切が近いものがふたつある。ひとつは東京ゲームショウのインディゲームの無料出展枠。80のインディゲームが選ばれるらしい。採択されれば大きな宣伝とコネクションのチャンスになる。というわけで、大急ぎで書類を準備している。もうひとつは、文部科学省が発表したAI研究者向けのグラント。正確には、AIを使った研究に対して研究費が支援されるプログラムである。一応、研究者として雇われているから、積極的に研究を進めることが推奨されている。というか、研究で成果を出さないと、いつ切られてもおかしくない。研究費に困っているわけではないけれど、せっかくのチャンスならものにしたい。

これ以外にもいろいろ受けたし、今後も受ける予定がある。昔はこういうのは苦手だった。選ばれることに抵抗があった。落ちたときにショックを受けずに済むよう、審査の類を避けることが多かった。

最近になって、そのマインドが少しずつ変わってきた。それはたぶん、選ぶ側を経験するようになったからだ。自分のゲームに出演してくださる声優さんをオーディションで選んだことがある。あまりにも畏れ多いことだと思う。キャラクターにつき声優は一人しか選べない。選ばれた人以外は、どれだけ良かったとしても落とさなければならない。そういうことを、選んで初めて知った。

審査で落とされるたびに審査員を恨んできた。なんて物分かりの悪い連中なんだ、と。その通り。審査員は物分かりが悪い。選びたい人が決まっていれば、審査なんかする必要がない。誰を選べば良いかわからないから審査やオーディションを実施するのだ。つまり、選ばれる側の人間は、誰を選べば良いのかを丁寧に教えてあげれば良い。

いま、とても良いことを書いた気がする。何せ、どうやって受かる確率を高めるべきか私自身が悩んでいたのだ。誰を選べば良いか、審査員に教えてあげる。その発想はなかった。このエッセィを書いて良かった。

あとは、審査員を選ぶという発想がある。物分かりの良い審査員を、こちらがオーディションで見つけるのだ。選ぶことは簡単じゃない。選びたくないから、決めたくないから、決断を避け、先送りにする。審美眼は稀有な才能だ。審査員の卵を見出すことは、選ばれる側の使命といえる。

@radish2951
恋愛ゲームをつくっています。毎日21時頃にエッセィを更新しています。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink