プロデューサー的な相方が欲しいとずっと思ってきた。私が作品をつくり、相方は私を支える。そんな理想を思い描いてきた。けれど、残念ながらそのようにはならなかった。
プロデューサーになろうとしてくれた人がいなかったわけではない。私の創作に興味を持って、話を聞いてくれる人はいた。ただ、うまくはいかなかった。たぶん、私は誰かに従うのが極端に苦手なんだと思う。言うことを聞いて、その通りにやるということができない。身体が勝手に違うことをやろうとする。その人から見れば、とても扱いにくい人間だっただろう。そんな人間だったから、会社でもうまくいかなかった。なぜこんなこともできないのか、と言われた。なぜこんなこともできないのか、自分でも不思議だった。
だから、仕方なく、自分で全部やることにした。自分でゲームを企画して、シナリオを書いて、イラストを描いて、お金を集めて、声優さんを呼んで、曲を書いていただいた。他にもいろんなことをした。本当に大変だった。全然うまくできなくて、いろんな人に迷惑をかけた。あまりにもつらくて、泣きそうだった。誰かに助けて欲しいと思った。けれど、誰も助けてはくれなかった。
と、思い込んでいたことが、未熟さゆえの過ちだったと気づいたのは最近。いろんな苦労をしたおかげで、多少はタフになったと思うし、物事が少しずつうまく回り始めた。心と身体に余裕ができると、視野が広がるのだと知った。誰も助けてくれなかったのではない。差し伸べてくれた手に、気づいていなかっただけだった。
誰かに従うのは向いていない。けれど、一人でやるのはもっと向いていない。一人では何もできない人間だと、痛いくらい思い知った。つまり、私に残された道はひとつ。私がプロデューサーになるしかない。
他人の良いところを見出して、それを活かせる場をつくる。面白そうだと思ってもらえる企画をつくり、気持ちよく作品に参加してもらう。一人で困っている人を見かけたら、そっと手を差し伸べてみる。こう見えて、私は人と人とを引き合わせるのがうまい。一人で苦しんでいる人がたくさんいることは知っている。私一人で支えることはできないけれど、一人じゃないんだよ、と伝えることはできる。
なお、プロデューサーを名乗るつもりはない。やっていることがプロデューサーっぽく見えたとしても、それは私の創作スタイルのひとつにすぎない。新海誠が雲をプロデュースするように、小島秀夫がノーマン・リーダスをプロデュースするように、私はあなたをプロデュースする。私のことは、できれば監督と呼んでください。私をここまで連れてきてくれてありがとうございます、プロデューサーさん。