匂わせマーケティング

池田大輝
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公開:2025/3/4

OpenAIのCEO、サム・アルトマンがよくやる手法だ。OpenAIは世界トップクラスのAI企業で、ChatGPTを中心にどんどん新たなテクノロジーやサービスを展開している。その動向を常にウォッチしている人たちが世界中にたくさんいて、次のアップデートはいつだとか、こんな機能がもうすぐ実装されるとか、根拠のない噂でいつも盛り上がっている。サムもそれは認識しているようで、半ば呆れつつ、しかし、あえてそこに便乗するような形で「匂わせ」をすることがある。たとえば、このツイート。

2024年の夏頃、もうすぐOpenAIから大型のアップデートがあるという噂があった。新型モデルのコードネームはStrawberry。いつ公開されるのか、早くしてくれ、とAI界隈は大いに盛り上がっていた。そんな中、サムが投稿した写真。庭で悠長にイチゴを育てている。見事な「匂わせマーケティング」である。

個人的に、こういうのは結構好きだ。ちょっと趣は異なるけれど、たとえば劇場版のコナン君の映画。毎回、エンドロールの最後に、次回作を「匂わせる」ような短い映像が流れる。マーベル映画にも同じような演出がある。こういう「匂わせ」を見ると、どうしても期待を煽られるし、なんだかんだ次も観てしまう。でも、誇大広告に騙されたような後味の悪さはなく、程よく「踊らされている」感覚には心地よさすら感じる。

映画の予告に比べれば、サム・アルトマンの手法はもっと、ちゃんと「匂わせ」ている。これが新製品の予告であると明記していないから、ユーザーは確信を持てない。でも、明らかに繋がりがあるように見える。関係ないはずの点と点を結びたくなってしまう。心の動きとしては陰謀論に近いものすらある。それを陰謀論で終わらせず、最終的にちゃんと回収するあたりがサム・アルトマンの上手いところだと思う。匂わせが憶測を呼び、憶測が匂わせを呼ぶ。きわめて優秀なマーケターである。

かくいう私も、匂わせではないけれど、予告編で盛り上げるような手法を好む。新作のアナウンスをするときは、いかにも意味ありげなティザービジュアルやキャッチコピーを用意することが多い。オープニングムービーにも力を入れる。これからなにかが始まるぞ、というワクワクを喚起するのは楽しい。過去には『未完成映画予告編大賞』というコンテストに参加したこともある。映画の大会でありながら、映画本編ではなく「予告編」で競うという斬新なものだった。優勝には届かなかったけれど、審査員特別賞をいただくことができた。

匂わせるときに大事なのは、全貌を明かさないことだ。というか、それ自体が匂わせの定義といえる。限られた情報でいかに期待を煽るか。映画の予告編にも同じことがいえる。ファミリー向けの映画では、予告編でだいたいどんな映画かわかることが多い。子供が安心して観に行けることが大事だからだ。一方で、たとえばエヴァンゲリオンなんかは、予告編を観ただけではどんな話か全くわからない。観客を「試す」ようなつくりになっているのだ。

消費速度の速い昨今のネットでは、ぱっと見のわかりやすさが大事とされる。わかりやすいサムネイル、ひとことで伝わるキャッチコピー。決して間違ってはいないけれど、個人的には「匂わされる」ことは嫌いじゃないし、むしろそのほうがエンタメとして楽しいと思う。同じように思う人は少なくないのでは? 匂わせは楽しい。どんどん匂わせをしてほしいと思う。

というわけで、今回は以上である。え? 匂わせがなにもないじゃないかって? その通り。匂わせるようなことはなにもない。あったとしても、匂わせるわけにはいかないことくらいある。匂わせと秘密主義は両立する。

@radish2951
ゲーム作家。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink