マッチングアプリがすっかり普及したらしい。私はやったことがないのでどういうものかよくわからないけれど、少し考えてみれば、中高生の頃のように「告白して付き合う」という流れをほとんど消滅させたと想像できる。マッチングアプリは、恋愛におけるリスクをほとんど取り払ってしまった。
アプリを介さずに、意中の相手に思い切って告白する、という古典的な恋愛はまだ残っているのだろうか。少なくとも、私のまわりではほとんど聞かない。耳に入る恋バナの8割がマッチングアプリや結婚相談所の話であり、残りの2割はパートナーとうまくいっていないとか、そういう話である。告白して成功したとか振られたとかいう話を聞いたのは、学生の頃が最後だと思う。
告白がハラスメントとして取り沙汰されることが増えた。明らかに脈がない状態で告白することは、相手に恐怖を与える場合がある。実際にそのような場面を目撃したこともある。告白された女性は逃げ出していた。かわいそうだと思った、どちらも。
告白せずとも、大人になってからの恋愛感情はハラスメントと隣り合わせである。趣味を除けば、大人になってから出会う相手はほとんどが仕事関係であって、仕事相手に対してそのような感情を抱くことはパワハラになりかねない。そういう背景があるから、マッチングアプリを介して恋愛におけるリスクを取り除くことはきわめて合理的といえる。
とはいえ。リスクを排除した恋愛はつまらないな、と思ってしまう。そもそも、マッチングアプリがあると、片想いが成立しない。私はあの人のことが好きだけれど、あの人は私のことが好きかどうかわからない、という、恋愛におけるごく基本的で自然な状態がリスクと見做され、排除される。マッチングアプリをやったことがない私から見れば、由々しき事態である。恋愛の本質、一番ドキドキするパートは片想いにあると言っても過言ではないのに。
片想いは、苦しい。好きな人がいて、その人のおかげで幸せでいっぱいになる。けれど、同時に、不安にもなる。幸せで、不安で、どうしようもなくて、その人のことしか考えられなくなる。たまに話すとドキドキして、うまく話せなくて、でも、話せたことがただうれしくて、ああ、あのとき変なこと言っちゃったかな、といつまでも反省して。その人が他の人と話しているのを見ると胸がもやもやして、苦しくて、自分なんか、と自信を失って。でも、それでも好きな気持ちは変わらなくて、むしろ膨らみ続ける一方で、胸の中で抱えきれなくなった気持ちを押し付けるように、不器用な告白をしてしまって。
と、書けば書くほど、ありきたりな恋愛ソングの歌詞のようであるけれど、ありきたりな恋愛ソングのような恋愛はもはやありきたりではない。むしろ、そのようなドキドキはきわめて貴重なものになりつつある。片想いが、世界から消えようとしている。
誰かを好きになるのは自然なことだ。自然だから、人間にとってはリスクがある。誰かに好かれることも、誰かを好きになることも、相手を傷つけるリスクを伴う。そのような面倒に巻き込まれたくはない、と思う人が増えたのかもしれない。テクノロジーのおかげで、リスクを排除して結婚できるようになった。それは幸せなことなのかもしれない。
けれど、ひとつだけいえることがあるとすれば、片想いのドキドキは、どんな恋愛ゲームでも代替できない。キャラクターに恋をすることはできる。でも、現実世界における片想いのドキドキを、ゲームで再現することは絶対にできない。なぜなら、そのキャラクターが「本当に私のことが好き」なはずがないからだ。
現実は違う。どれだけ脈ありだと思っていても振られる確率はゼロじゃないし、逆にどれだけ脈なしだと思っていても付き合える確率はゼロじゃない。相手の気持ちがわからないから、片想いなのだ。
そう思うと、片想いは贅沢だ。こんなドキドキは滅多に味わえるものではない。不意に訪れる恋がもたらす、予期せぬ試練であり、ゲームである。選択肢はひとつだけ。告白するか、逃げ出すか。どんな恋愛ゲームよりも面白い。恋愛ゲームの作者が言うのだから、間違いない。
もしもあなたがいま、片想いをしているのなら、思う存分楽しんでほしい。悩んで、苦しんで、告白しよう。相手に大きな迷惑がかからなければ大丈夫。うまくいったらおめでとう。振られたら、それ以上は深入りしないほうがいい。適当な恋愛ゲームをプレイして、次の出会いに備えるのだ。おすすめは『さくらいろテトラプリズム』、と言いたいところだけれど、傷ついた心には少々刺激が強すぎるかもしれない。落ち着いたら、遊んでみてください。