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創作活動と子育て

池田大輝
·
公開:2026/7/15

創作活動をしていて、キャラクターが増えていくのを見るのが楽しい。いまは主に恋愛ゲームをつくっているけれど、学生時代は映画を撮っていた。当時はキャラクターというものに本当に興味がなかった。画面を賑やかす演出か、プロットを進める駒くらいにしか思っていなかった。恋愛ゲームというジャンルに出会い、キャラクターが物語の、作品の中心にあることの面白さを知った。いまも新作を鋭意制作中である。キャラクターが増えることは、本当に、純粋にうれしい。

キャラクターは生み出して終わりではない。人間の子供と同じように、育てていかなければならない。この感覚も、最近わかったことである。義務感というか責任感というか。それがなければとっくに創作を辞めていたと思う。内から湧き出る創作意欲もなければ、名を馳せたいという野望もない。いずれも、子供たちを見守り、支えていかなければならないという感情から派生したものである。

子供と書いたけれど、もちろん、厳密には違う。血の繋がりはないし、ルールとしての養育義務はない。つまり、ほとんど他人である。それでも、作者である私が作品をつくっていかないことにはキャラクターたちは生きていくことはできないわけで、それを指し示す比喩として、子供という表現がしっくりくる。

他人、というのがポイントだ。キャラクターは私の人格や欲望を投影した存在ではない。私という存在からできるだけ自由であってほしい。それでも、やはり全くの無関係ではいられず、つまり、私が頑張らなければならないということである。

義務と書いたけれど、作者としてはとても楽しい。キャラクターたちのわがままに振り回されるのが楽しい。やりたいことがあるのなら、できる限りその舞台を整えてあげたいと思う。私は5人きょうだいの長子で、3人の妹がいる。妹たちにも散々振り回されてきた。そういうのは、慣れっこなのだ。

では、そのように創作活動は続けるとして、リアルな子供についてはどうか? 子供が欲しい気持ちはゼロではないけれど、それはパートナーと話し合って決めることである。そのような相手は現在いないので、これ以上は机上の空論になる。実際、創作活動とリアルな子育てを両立するのは大変だろう。お金もかかるし時間もかかる。ポジティブに解釈するならば、いまの創作活動が、リアルな子育てのシミュレーションになっているといえなくもない。キャラクターたちは、本当にわがままなのだ。彼女たちは作者のことを知らないから当然である。幾多の無茶振りに応える中で、親としてのタフさは、そこそこ鍛えられているのではないか。

@radish2951
恋愛ゲームをつくっています。毎日21時頃にエッセィを更新しています。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink