演者と観客の境界を曖昧にしたい

池田大輝
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映画『ボーはおそれている』に出てきたセリフ。正確な表記は違うかもしれないけれど、おおよそこんな意味だったと思う。映画を観たのが1ヶ月以上前。未だにこの言葉が頭の中をぐるぐるしている。

映画の中で取り立てて重要なセリフではないと思う。なんとなく思うところはあれど、別にこの言葉の解釈が映画の根本を揺るがす、みたいなことはなさそうだ。

「演者と観客の境界を曖昧にしたい」という言葉だけを眺めてみると、ぱっと思い浮かぶのは、最近流行っているマーダーミステリーとか体験型演劇だろうか。観客自身がプレイヤーすなわち演者としてキャラクターを演じ、ゲームをクリアしていく。似たような体験型エンタメは増えているように見える。

でも、この言葉はそういう「型」について述べているわけではないような気がする。実際のところ、このセリフの本当の意味はよくわからない。特に深い意味はないのかもしれない。

ひとつだけいえるとすれば、演者自身、観客自身について述べているわけではなく、その間にある「境界」について述べているということ。演者が観客になるとか、あるいはその逆を言っているわけではない。

「演者と観客の境界」とは何なのか。今後、自分にとって、なんとなく大事なテーマになりそうな気がしている。

@radish2951
ゲームクリエイター。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』制作中。 daiki.pink