東京科学大学(旧東京工業大学)は日本の理系大学の最高峰と言われており、就職に強い大学ランキングでは常に上位にいる。私はそこの生命理工学部というところを卒業し、そのまま大学院に進んだ。
当時、私は映画の道を目指していた。大学の専門とは一切関係がない。かなり闇雲な戦い方をしていて、案の定、うまくいっていなかった。一方、大学院に入るとすぐに就活が始まった。だいたいは修士で卒業して大企業に入るケースが多い。生命からだと、製薬会社とか食品会社とかIT系とか。映画の道を目指す傍ら、そのような「王道の」就職も普通に考えていた。「映画がだめならグーグルにでも入ろうかなあ」くらいに思っていたと思う。そんな具合に、どちらも半分ずつといった感じでやってみたけれど、全然だめだった。
グーグルは書類で落とされた。専門性が全然足りないのだ。相手は情報系でがっつり研究をしてきた修士や博士であり、研究でプログラミングをかじった程度の私は歯が立たなかった。他のIT企業も受けた。内定をもらったところもある。が、私はその内定を蹴った。そのことを先日思い出し、当時のメールを見てみた。「やっぱり映像に専念したいので辞退します」と若かりし頃の私は言っていた。認めたくないものだな、自分自身の若さ故の過ちというものを。
やがて、大学院を休学した。映画のコンテストに専念するためだった。今思えば休学なんかせずに修士を卒業しておけばよかったのだけれど、当時の研究室は毎日ラボに来ることを強制させられていたため、休学せざるを得なかった。休学してまで完成させた映画(正確には映画の予告編)は、審査員特別賞をいただいた。悔しかった。なぜか? 優勝しなければ、監督デビューはできなかったからだ。その翌年も、同じコンテストの第二回に応募した。そこそこいいところまで行ったけれど、やっぱりあと一歩、届かなかった。
それから、映画の道を諦め、なぜかゲーム会社に入り、今は個人でゲームをつくっている。会社を辞めてもう3年になるかな。今更、普通の就職はできそうにない。経歴を話すと、誰からも「普通じゃない」と言われる。別に、普通じゃないことを目指して生きてきたわけではないのだけれど。一応、途中で「普通の」ルートに軌道修正を試みたこともある。が、全然だめだった。普通の人たちは、よくこんな生き方ができるなとびっくりした。
まあ、でも、普通じゃない人たちは結構たくさんいる。それぞれの「普通じゃなさ」が際立っているだけであって、そのような個性を無視して、単に数だけの問題としてみれば、普通の人たちよりも普通じゃない人たちのほうが数が多い。普通であることは普通でない。普通でない人は、それぞれが普通に違っているという意味において普通である。
普通に生きられない人たちが抱えている個別の悩みを、普通の方法で解決することはできない。それはその人の人生に限った話であって、普遍的なものではないからだ。誰に聞いても、本を買っても、エッセィを読んでも、その悩みは解決されない。このエッセィはあなたの人生には役に立たない。ここに書いたのは私の人生の話であって、あなたの人生の話ではない。他人の人生を参考にすることはできない。
と言いつつ、私は有名人のWikipediaやインタビューを読むのが好きだ。私のエッセィが霞むくらいに壮絶な人生を送ってきた人ばかりで感心する。もし人生に悩んでいる人がいたら、誰のでもいいからWikipediaを読んでみよう。少なくとも10人くらいは読むことをおすすめする。普通とはなにか、考えるきっかけになるだろう。この記事も、とある人のWikipediaを読んだあとに書いたものだ。一体、誰でしょう?