オタクに優しいギャルが存在するかはわからないが、ギャルに優しいオタクになることはできる。
まず、ギャルをよく観察しよう。ギャルは一枚岩ではない。いろいろなギャルがこの世には存在する。ギャルとはなにか、定義することは難しい。自他ともに認めるギャルもいれば、見るからにギャルであるがギャルを自認していないギャルもいる。その逆も然り。これらがギャルにあたるかどうかは議論の余地がある。そんな具合に、いろいろなギャルを観察し、その多様性を認めることがスタートといえるだろう。
次に、仲良くなれそうなギャルを見極める必要がある。手当たり次第に声をかけるのは迷惑行為であるから、慎重にいかなければならない。ここでもやはり、ギャルの多様性は無視できない。このようにすればギャルと仲良くなれる、という一般論はない。ギャルはそれぞれ違うから、それぞれに違う方法でアプローチする必要がある。ギャルも人間だから、当然の気配りである。
最後に、仲良くなったギャルに優しくすれば、晴れて「ギャルに優しいオタク」になれる。しかし、優しくすることは簡単ではない。「優しい」とはなにか? なにをすればギャルは「オタクくんって優しいね」と思うのか? そういうことを考えなければならない。見え透いた優しさは相手を傷つける。ギャルは他人をよく見ている。優しさに正解などないということ。
優しさは、相手を想う気持ちと言い換えることもできなくはない。オタクに優しいギャルを求めるのであれば、まずはギャルに優しいオタクになることだ。なお、この議論はギャルとオタクを入れ替えても成り立つ。