ホテルの朝。ここには何もない。ここに何かがあったことも、このさき何かがあることもない。ただひたすらに虚しい朝。ホームシックではないと思う。ずっとアメリカにいたいとも、日本に早く帰りたいとも思わない。窓から差し込む朝陽がやさしい。日本よりも緯度が高いせいで、昼は長く、夜は短い。
満たされないという気持ちは、この精神状態を指すのだろうか。満たされ得るということは、中身がないただの器だということ。そう、器。いま、その中には何もない。ただの器がこれを書いている。
私が器だとしたら、その中には何が入るのだろう? いや、そんな問いさえもどうでもいい。どうでもいいというか、考えたくない。考えたくないというか、考えたところで意味がない。やはり、ここには何もない。
落ち込んでいるのでも、喜びを偽装しているのでもない。ただ、何もないのだ。果てしない海を眺めているときの感情に近い。そこに水があると思うのは、たまたま水について知っているからだ。でも、少し離れて海を見ると、それは果てしない虚無である。宇宙となんら変わらない。私たちは宇宙についてはよく知らないから、宇宙を畏れ、宇宙に夢を見るのだ。
つまり、満たされているかどうかは関係ない。いま、この瞬間に、かつて片想いしていた人が急に現れてハグしてくれたとしても、そうですか、と思うだけである。いや、寝汗をたくさんかいたから、いきなりハグはちょっと……。寝汗が止まらないほどの悪夢を見ていたのだろうか。あるいは、それくらい興奮していたのだろうか。彼女は何度も夢に現れた。いずれ、いなくなるのだろう。とりあえず、シャワーを浴びたい。シャワーはいずれ浴槽を満たす。だから積み重ねることが大事だよ、なんて言いたいわけじゃない。あなたはスーパーカミオカンデを知っている? 水をたっぷりと張った浴槽が虚無でないとなぜいえるのだろうか?