数年前まで、いわゆる大企業に勤めていた。誰もが名前くらいは知っているであろう会社で、システムエンジニアをしていた。エンジニアとはいえ、中身はよくある会社員で、特段エンジニアらしい仕事はしていなかった。部署移動や転勤があり、会社の指示を受けたら従わなければならない。プロジェクトに配置され、与えられた業務をこなす。典型的な会社勤めというやつである。
社員は真面目な人が多かった。指示に従い、てきぱきと仕事をこなす。入社してすぐに、自分はこんなふうに働くことはできないと思った。とはいえ、すぐに辞めるわけにもいかないから、しばらくは頑張って働いた。結局、2年半ほど勤めただろうか。会社を辞めて、ゲーム制作に専念するようになって、今に至る。
改めて思う。会社員として働ける人はすごい。仕事をしている人の大多数は会社員として働いているはずだから、大多数の人はすごい。本当にすごい。
けれど、疑問に思うこともある。会社で働く人は、会社の指示ならなんでもやるのだろうか? 他人に仕事の相談をすると「仕事なんだから割り切れ」とお叱りを受ける。それはそうだ。どんなに素敵な仕事であっても、仕事、すなわちお金をいただく行為である以上、やりたいことだけを好きなようにやるわけにはいかない。個人でゲームをつくっていても、やりたくないことは山ほどある。それくらいはわかっている。
「仕事なんだから割り切れ」と言うのなら、じゃあ、小説を書けと言われても割り切って書くのか? 漫画を書け。絵を描け。エッセィを書け。ノルマもある。小説なら1日1万文字。もちろん、数を埋めれば良いわけではない。それなりに面白く、売れそうなものを書かなければならない。イラストも同じ。上手いのは当たり前で、見る人の心を動かすような絵を描かなければならない。そういう指示を受けたとして、みんな真面目に、割り切って働くのか?
本当にわからない。私だけが人類の中で特別に無能で、平均的な人間は割り切ればなんでもできる可能性も排除しきれない。コンビニバイトはできる気がしない。やりたくないのではなく、あのようにてきぱきとマルチタスクで業務をこなすことは、自分にはできないと思う。似たようなバイトは、学生時代に1日で辞めた。あまりにも役立たずすぎて、居た堪れなくなったのだ。
きっと、みんながそのような超人ではないと思う。そうだと思いたい。できそうな仕事を、そこそこの労力でこなす。割り切れる程度には無理がないのだろう。割り切れば、小説もイラストも漫画も描ける。そんな人は少数派だろう。だから、小説やイラストや漫画を描かずに済む仕事に多くの人が就いている。そう考えるのが自然ではないか。
だとすれば、「仕事なんだから割り切れ」という言い草は、やや乱暴に聞こえる。そう言えるのは、たまたま割り切れる仕事に就いているからであって、同じ仕事を誰もが同じように割り切れるとは限らない。割り切れる仕事に出会える確率も人によって違う。私から見れば、割り切れる仕事に就いている人は幸運である。「仕事なんだから割り切れ」なんて、とてもじゃないけれど人には言えない。
創作を仕事にしていると、運だとか努力だとか才能だとか、そういう話によくなる。間違ってはいない。けれど、それは誰にでも言えることだ。もし、あなたが「仕事で小説なんか書けない」と思っているのなら、小説を書かずに済む仕事に就いていることは、きわめて幸運といえる。