ここ数年はとにかく大変で、昨年末のゲームリリースを中心とした前後1年くらいは特に大変だった(つまり、今も大変である)。人生でこんなに過酷だったことはない。大学や大学院受験のほうがずっと楽だった。この数年がどれくらいハードだったのかは、私のエッセィを遡ればなんとなくわかると思う。情けない姿をお見せした。幻滅した人も多いだろう。
と、私は思っているのだけれど、どうやら、そうでもないらしい。毎日エッセィを書いていると、どういう内容が読まれやすいのかがなんとなくわかる。体感として、弱音を吐き出すようなエッセィは比較的読まれやすい傾向にある。
これは、「他人の不幸は蜜の味」とも少し違う。弱ってはいるけれど、不幸ではない。どちらかといえば、運がいいほうだと思っている。エッセィが自慢話に聞こえる、という意見をいただいたこともある。もちろん、そんなつもりはない。自慢話は、こんなところに書くものじゃない。ここに書いているのは、ありのまま(という設定)の私の姿である。自慢話とは、たとえば、デニーズで、贅沢に、もったいぶって話すものである。
弱い姿を晒すことにもすっかり慣れた。これで良いのかよくわからないけれど、結果として、とても生きやすくなった、と思っている。もともと、そんなに強くない人間だったのだ。謎の全能感を背負ったまま大人になってしまい、その幻想が、ようやく剥がれ落ちてきた。
弱っている姿を見たい、という気持ちは、正直よくわからないけれど、でも、案外、悪い気はしない。少なくとも、虚勢に夢見られるよりも居心地が良い。弱いままに見られるほうが、無理をせずに済む。自然体でいられる、と言えば良いか。
だから、弱い私を見ていてくれてありがとう。おかげで生きていられます、と言うのはちょっと大袈裟かな。まあ、弱っている姿を見たいという欲求は、ある種の特殊性癖に聞こえなくもないけれど、救ってくれた恩に免じて、許してあげます。