中学生の頃から映画を撮り始めて、高校では映画サークルを立ち上げて映画を撮っていた。賞をいただいたし、テレビにも出た。だから、そのまま映画を撮り続けたいと思っていた。でも、結局その道には進まず、むしろ、映画とはなんの関係もない東京科学大学(旧東工大)に進んだ。理由は簡単で、できるだけ偏差値の高い大学に行っておくべきだと先生に説得されたから。とはいえ、先生の説得を退けてまで映画学校や美大に行きたいと思っていたかと言われれば、そうでもなかったように思う。
当時は夢中で映画を撮っていたけれど、映画を観ることはほとんどなかった。むしろ興味はないほうだった。影響を受けた映画がいくつかあるだけで、映画を観ること、映画というメディア自体は好きでもなんでもなかった。高校2年生だったかな。クリストファー・ノーラン監督の『インセプション』を劇場に観に行った記憶がある。「マトリックスの再来」などと謳われていて、『マトリックス』に多大なる影響を受けていた私は、とてもわくわくしてこの映画を観た。でも、それくらいか。映画を撮っていたのに、映画好きではなかった。そう、思い出した。当時、撮った短編映画(アニメ)がたまたまバズって、日テレのZIP!に出演したことがある。その際、ディレクターから「将来の夢は映画監督です」と無理やり言わされた。その言葉を口にすることへの抵抗を、今でもはっきりと覚えている。
映画を撮りたいという気持ちは昔も今も変わらない。その気持ちのまま、何本も撮ってきた。今は主にゲーム(ビジュアルノベル)をつくっているけれど、根底にある想いはあまり変わっていない。一方で、映画監督になりたいと思ったことは、たぶん、ほとんどないと思う。少なくとも学生時代は、映画監督という仕事がなにをする仕事なのかわからなかった。映画のメイキングを見るのは好きだったから、監督が現場でなにをしているのかはなんとなくわかっていた。けれど、なんというか「同じになりたい」とは思わなかった。
好きな映画監督は何人かいるけれど、その人たちの多くは映画を専門的に学んでいない。新海誠監督は中央大学の文学部を卒業して、ゲーム会社である日本ファルコムに勤めながら個人でアニメを制作し、デビューした。クリストファー・ノーラン監督はロンドン大学ユニバーシティ・カレッジで英文学を専攻していた。Wikipediaによれば「視野を広げるためにあえて映画ではない道を選んだ」らしい。映画に限らず、私の好きなクリエイターや作家にはこの傾向が多くみられる。
映画監督になりたいのであれば、映画学校や映画学科のある美大に行くのが手っ取り早いと思う。あるいは、早稲田、慶應、法政など、映画が盛んな大学に行くのも有効だろう。でも、私はその道を選ばなかった。それは、たぶん、遠回りをしたかったからだと思う。
モラトリアムと言われればそれまでかもしれない。でも、東工大に進んだことは、決して悪い意味でのモラトリアムだけではなかった。それにしても、よりによって、とんでもない回り道を選んでしまったものである。今のところ、この遠回りは顕著な成果として現れてはいない。新海誠監督やクリストファー・ノーラン監督のように文学を学んでいれば、もう少しは成果に結びつきやすかったかもしれない。でも、選んでしまったものは仕方がない。映画を撮りたくて東工大に進む人なんてほかにいないだろう。北野武監督だって、明治大学の工学部である。それくらい遠回りをしたほうが、将来、良い映画監督になれると、高校生ながらに直感していたのかもしれない。