誰かを愛し続けることと、執着すること。その違いは、相手の気持ちを尊重しているかどうか。と言いたいところだけれど、きっと、そんなに単純な話ではないのだろう。
他者の気持ちを尊重することは大事だ。でも、尊重した結果、相手を傷つけてしまうことがある。そもそも、他人の気持ちなんてよくわからない。よくわからないものを、なんとか理解しようとする。想像力というやつだ。自分だったらこれは嫌だなとか、あれはうれしいなとか、自分に置き換えて考えてみるのがやっとであり、そのシミュレーションが相手にもそのまま当てはまる保証はない。だから、精一杯に愛した結果、相手を怖がらせてしまうことだって普通にある。
だから、相手を傷つけないように、怖がらせないように、というのが令和のメジャーな価値観であり、そのおかげで、マッチングアプリが流行っているのだろう。双方が合意していることを、アプリが担保してくれる(使ったことがないので想像)。とにかく、他人を傷つけることは許されない。その意味において、恋愛ほど暴力的で、独善的なものはない。
つまり、今の時代においては、一途も執着もほとんど同じようなものだ。相手がそれを喜んだか、そうでないかの違いくらいしかない。そして、それは、コントロールしようがない。相手がどう思ったかなんて相手次第であり、いくら誠意を尽くしたところで、それはもう、どうしようもない。
では、どうすれば良いのか。きっと、相手を傷つける覚悟を持つしかないのだろう。絶対に傷つけずに、誰かを大切にすることはできない。そっと抱きしめたつもりでも、ひどい傷を負わせてしまうかもしれない。たとえ傷つけてしまったとしても、それでも、あなたが好きなのだと、胸を張って言えるかどうか。勇気を振り絞って、伝えてみるしかないのだろう。そして、案外、こういうときは、「大袈裟だなあ」と笑いながら、頭を撫でてくれるような気がしている。