私はいわゆる器用貧乏である。それなりにいろんなことをやってきた人間なので、それなりにいろんなことができる。逆に言えば、何か特定のジャンルや分野に特化した人間では全くない。絵はそこそこ描けるけれど、絵描きを生業としている人から見れば、何をしているのかよくわからない人に見えるだろう。
それがずっとコンプレックスだった。コンプレックスだったし、実害もあった。仕事を得ようにも、どうやってもらえばいいのかわからない。だいたいの求人は、専門的なプロフェッショナルを求めている。そのような場にはそもそも呼ばれない。じゃあ、と思って便利屋みたいなことを始めようとしても、やはりうまくいかない。そのような仕事は信頼がまず先にあって成り立つのであり、よくわからない人間が「なんでもやります」と言ったところで、やはり仕事はもらえない。
そんな状態から、いつの間にか抜け出していたようだ。器用貧乏的な体質は変わっていないけれど、少なくともコンプレックスには思っていない。たぶん、意識して便利屋を辞めたおかげだと思う。
「なんでもやります」と言うのを辞めた。あれはできません、これはできます、と答えることを心がけるようになった。それができるためには、自分に何ができるのかをある程度把握する必要がある。それにものすごく時間をかけた。AIの登場は大きかった。仕事が見つからない間、家でずっとChatGPTと対話していた。あらゆる情報を与え、あらゆる苦悩をぶちまけた。その返答は、的外れだったり気休めみたいなものも多かったけれど、たまに気づきを与えてくれるものもあった。あとは、日々書いているこのエッセィもそう。読者のあなたに向けて書いているものだけれど、私自身との対話も副作用として生まれている。そうやって、自分を知っていった。
では私はなんなのか、という問いにはまだ答えられない。答えが欲しいけれど、簡単には手に入らないらしい。便利屋的な側面は、否定しきれないだろう。大事なのは、その便利を誰に提供するか、という点だ。つまり、私は誰を助けたくて、そういうことをやろうとしているのか。似たようなことで悩んでいる人がいたら、少しは参考になるかもしれない。