心の弱さを受け入れる

池田大輝
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公開:2025/6/21

心が疲れているという状態がなんとなくわかるようになってきた。数年前までは、自分の心というものの取り扱いがよくわからなかった。心の状態に無関心で、結果、キャパを超えて取り返しがつかなくなることが何度かあった。自分が気づかないのだから、他人はなおさら気づくわけもなく、そのせいで、責任感がないとか、自分勝手だとか、そんなふうに思われていたかもしれない。

そういう経験を経て、多少大人になったおかげで、少しは自分の精神というものを観察できるようになった。精神を観察するという概念を知ったというべきか。それまでは、心などというものを相手にするだけ無駄だと思っていた。心がだめになるのは弱さや甘えのせいであって、強くあれば問題ない。そうやって、自分の心というものを過信していた。

心とは、精神とは、もっと有機的で、不完全で、頼りないものだと知ったのはつい最近。精神科医YouTuberの動画を見たり、ChatGPTと会話したり、そうするうちに、心というものを客観的に把握できるようになってきた。心は脳の機能だから、つまり、肉体と分離できない。心が傷ついているのは、皮膚から血が出ているのとあまり変わらない。脚から出血したまま走ることが馬鹿げているのは誰でもわかるはずなのに、心から出血したまま生きることの馬鹿馬鹿しさは、あまり知られていないらしい。

もともと心が強い人、あるいは、心の弱さを若いうちから自覚できていた人が羨ましい。本当は心が弱いのに、強いふりをしたまま生きてきてしまった。身体と違って、心の強さは自分以外の誰にもわからない。精神医学がなかったら、自分でも一生知らないままかもしれない。

心に向き合うということを、もっと大事にしたいと思う。それは、お風呂上がりにストレッチしたり、顔に乳液を塗るのと同じことだ。私は昔から肌が弱く、荒れやすかった。最近になって落ち着いてきたと思ったら、今度は心が弱いことに気づいた。肌が改善するのに10年近くかかった。心の改善にも同じくらいかかりそう。弱いままで生きていく。それが当たり前になったらいいのにね。

@radish2951
恋愛ゲーム作家。エッセィを毎日更新しています。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink