誰も気に入りたくないし、誰にも気に入られたくない

池田大輝
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公開:2025/4/18

誰かに気に入られることは、一般に有利になることが多い。仕事をもらいやすくなるとか、厚遇されるとか。気に入られないよりかは、気に入られるほうが物事が円滑に進む。誰かを気に入ることもあるだろう。人当たりが良いとか、それくらいのことで簡単に気に入って(気に入られて)しまう。

「気に入る」という言葉は、どこか他人との比較のニュアンスを含んでいる。まわりの人に比べてこの人が良い、という感じ。比較対象がたくさんいる中の特別な一人が「お気に入り」である。アイドルを想像するとわかりやすい。グループの中の一人を「気に入る」ことはあるが、ソロアイドルを「気に入る」のは少し変な感じがしないだろうか。

人と比べることは嫌いだ。人と比べられることも嫌い。「新海誠っぽい」と言われるのは好き。それは比べられているのではなく、私の大事なルーツに気づいてくれているからだ。「あの人は真面目にやってるのに」とか「それくらい普通だよ」と言われるのが嫌い。そういうことを他人には絶対に言わない。

誰かと比べることは無意味だ。それでも比べたくなるのは、それがある種のエンタメ、言い換えれば優越感(または劣等感)として消費しやすくなるからだ。比較すれば違いが見える。違いがわかりやすいほどエンタメになる。アイドルに順位をつけるのは、それがエンタメになるとわかっているからだ。順位に意味などない。いや、意味しかない、と言うべきか。

誰のことも気に入らないのなら、全員を平等に扱うのかと問われれば、それも少し違う。平等という言葉にもやはり横並びのニュアンスがある。隣の人の前でも後ろでもなく、ちょうど真横にいるイメージ。誰か一人でもずれてはいけないという強迫的なメッセージさえ感じる。男女平等という言葉が議論を生むのは、互いを縛り合うような不自由さにも原因があるように思う。

比べるからこういうことになる。だから、比べなければ良い。私を気に入ってくれるのはありがたいけれど、できれば「好き」になってほしい。

「好き」は比較ではない。あなたのことが好きですと言うとき、そこに他人はいない。他の人よりもあなたが好きなのではなく、ただ、あなたが好きなのだ。あなたのことが好きですと言うとき、世界から他人は消える。二人だけの世界が生まれる。

気に入るのではなく、好きになる。

気に入られるのではなく、好きになってもらう。

そっちのほうが、なんとなく、うれしい。だから、よかったら私のことを好きでいてください。もう好きなら、もっと好きになってください。

@radish2951
恋愛ゲーム作家。エッセィを毎日更新しています。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink