もっとのんびり生きたい

池田大輝
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公開:2026/4/3

なんだかずっと忙しい。でも、忙しさって不思議だ。忙しさには実体がない。どれだけ忙しかろうと、何もやらなければ、何も起こらない。電話がかかってきても、メールが来ても、全部無視すれば忙しくなくなる。海に行ってのんびりする権利が私たちにはある。なぜそれをしないのかといえば、臆病だからだ。怒られるのが怖い。嫌われるのが怖い。食い扶持を失うのが怖い。別に、1日くらい無断で海に行ったところで仕事を失ったりしないし、なんなら本気で心配される確率のほうがこのご時世は高いだろう。

それでも、忙しさを手放すことは簡単じゃない。あるいは、生きるとは、いかにして忙しさを手放すかというゲームなのかもしれない。そう思うと、港区のタワマンでのんびり暮らしている人たちは勝ち組だろうか。インスタやスレッズの更新で忙しそうだから、あまり変わらない?

そうそう。こうして日々エッセィを書いていると、毎日続けていてすごいね、とか、忙しいなら辞めたら、と言われることがある。エッセィを書いている間は、不思議と忙しくはない。時間がゆっくり流れている感じがする。真っ白なゲレンデで、遠くの山なみを眺めている気分になる。なんだか、心が落ち着く。でなければ、1年以上も続かなかっただろう。

つまり、部分的にではあるけれど、私はもうのんびり生きているといえる。現にこうしてのんびりとエッセィを書いている。毎日30分くらいで書いているけれど、急いで書かなきゃとは思っていない。のんびりと書いて、それくらいの時間になる。

ああ、そうか。のんびりするのも楽じゃないんだ。ゲレンデで30分ものんびりしていたら、下手すれば凍死してしまう。忙しさとは、動いているということであり、つまりは生きているということだ。忙しさを手放すことは、死を受け入れることである。つまり、このエッセィを書いている間、私は死んでいる。死んでみるとよくわかるけれど、死ぬことは案外悪くない。本当に死ぬと二度とは生き返れないという点だけがデメリットだ。ギリギリで生きることは、限りなく死に近い場所で生きるという意味で、その直感的なイメージよりも遥かに穏やかな生き方であるといえる。

@radish2951
恋愛ゲームをつくっています。毎日21時頃にエッセィを更新しています。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink