とにかく地味な毎日が続いている。起きて、シャワーを浴びて、出勤して、仕事をして、帰宅して、エッセィを書いて、創作をして、寝る。休日はここから出勤と帰宅がなくなる。本当は映画を観たりゲームをしたり本を読んだりしたいのだけれど、あいにくそのような時間はない。
しばらくはこのような生活が続くと思う。創作活動を軸に3年間の計画を立てていて、計画に従ってものづくりをしていく。つくりたいものは山のようにあり、それを実現するためには、地道に歩んでいく必要がある。
とはいえ、少々息が詰まる思いがするのも事実。もともと、このように計画的な人間ではなかった。もっと場当たり的で、アドリブ的なスタイルが自分には合っている。と、思って生きてきた結果、なかなかに痛い目を見てしまったこともあり、反省も込めて、計画的な人生を歩もうと努力している。
計画的であることは悪くない。夢がどんどん叶っていく。地味だけれど、楽しいし、自分の人生を歩んでいる感じがする。このような生き方を今まで知らなかった。計画的に生きられるようになったのは、大きな達成だった。
それでも、なんだかなあ、という気持ちはある。本当にこれで良いのか。迷っているわけじゃない。嫌だとか、辞めたいというのも違う。計画を多少修正することはあっても、投げ捨てることはないだろう。では、何が不満なのか。自分でもよくわからない。
たぶん、余裕がないのだと思う。時間の余裕も、身体の余裕も、心の余裕も。それは、ある意味ではどうしようもない。のらりくらりとやっている場合ではない。今はまだ壮大な計画のほんの入口に過ぎなくて、早くこのチュートリアルを終わらせなければならない。
という焦りさえも、余裕のなさが見せる幻想なのだとしたら。本当は、もっとのらりくらり生きても良いのかもしれない。わからない。本当にわからない。
たぶん、自分一人ではどうしようもないのだと思う。誰かに出会い、その誰かが私の人生に揺さぶりをかけることでしか、この「なんだかなあ」は解消されない。まあ、今は、誰かに出会う余裕すらもないのだけれど。
というのは厳密には嘘で、多少、人には会っている。会ってくれる人には感謝しかない。人と会うのは楽しい。人生の温度が上がる感じがする。そうやって、少しずつ温度が上がっていって、あるとき、まるでお湯が沸騰するみたいに、人生が変わるのだと思う。それは、たとえば恋と呼ばれたりする。
『冴えない彼女の育てかた』というアニメ(原作はラノベだけれど読んだことはない)に、加藤恵というヒロインが登場する。「なんだかなあだよね」は恵の口癖だ。恵は、ヒロインのくせにとにかく地味である。地味な生活をしていると、恵の気持ちが少しだけわかる気がする。なんだかなあだよね、としか言いようがない。なお、冴えカノは、主人公の安芸倫也が、桜の舞う坂道で恵に出会い、恵をモデルにギャルゲー(恋愛ゲーム)をつくると言い出すところから始まる。そんな冴えカノを見て、私もギャルゲーをつくり始めた。なんだかなあだよね。