「事実はギャルゲーよりも奇なり」という言葉は私の座右の銘である。ほかに言っている人を見たことがないので、私のオリジナルの言葉だと思う。たしか、昨年末のエッセィで初めて書いた。
ギャルゲーは、女の子とイチャイチャするゲーム、と思われがちだが、それだけではない。ノベルゲームの形式をふんだんに活かして、想像を超えた表現や物語を届けてくれる作品がいくつかある。私は片手で数えるほどしかプレイしたことがないけれど、それがきっかけで実際にギャルゲーをつくっているのだから、多寡は問題ではないだろう。
どれほどぶっ飛んだギャルゲーよりもぶっ飛んだ人生を送ろう、というのがこの標語の意味するところである。長い目でそうなったらいいな、と思い、年初にこれを宣言したわけだが、そのときには予想しなかった出来事がすでに起きている。それも、ひとつやふたつではない。半年ちょっとで、人生はこれほど思いがけない方向に進むのだな、と感動すら覚える。
とはいえ、慢心してはいけない。「奇」も時間が経てば「常」になる。新しい物語を創造し続けなければならないように、奇妙な人生を謳歌し続けなければならない。その意味でも創作と生活は地続きだ。
半年ちょっとでこれである。少しペースを上げすぎたかな? いやいや、人生なんて一瞬だ。遠慮している場合ではない。事実はギャルゲーよりも奇なり。一度きりの人生なのだ。どうせ生きるなら派手にいこう。
なお、具体的な「奇」の内容については訊かれても答えないのでご容赦いただきたい。気長に待っていてください。でも、まあ、1万回くらい尋ねられたら答えるかも。そのようなファンの存在は充分に「奇」なので。