私は、それなりに常識人だと思っている。映画が好きで映画をよく観るけれど、半分以上は大規模なハリウッド映画であるし、小説やゲームも、ニッチなものにはあまり触れない。露骨にアングラ的なものからはむしろ距離を置きがち。ニッチであることを殊更にアピールされると、ちょっと引いてしまう。大衆的なもの、メジャーなもののほうが心地よく、自分に合っているな、と思う。
知り合いも、それなりに多い。多いというか、ジャンルの幅が広い。大学の同期には超エリート街道まっしぐらの人が少なくないし、一方で、地元の同級生なんかは、それぞれに自由な人生を送っていたりする。私自身はクリエイター気質が強いタイプだけれど、むしろそうじゃない人のほうがまわりには多い。だから、人付き合いや生活はかなり平均的で、平凡な人間である。
と、思っていたのだが、どうやらそうではないらしいことが、最近になってようやくわかってきた。初対面の人と話すと、ほぼ必ず困惑される。私という人間をどういうジャンルにカテゴライズすればいいのかわからないらしい。私もわからないから、無理もない。自分で言うのもあれだけれど、ぱっと見の印象はめちゃくちゃ普通の人だから、最初は普通の人として接される。でも、化けの皮はすぐに剥がれる。別に、化かしているつもりはない。
こんなふうに書くとお茶目なエピソードに聞こえるかもしれないけれど、このような「ギャップ」には、それなりに苦しめられてきた。特に仕事においては、私以上に、私と一緒に働く人を苦しめてきたといえる。申し訳ないことをたくさんした。期待を裏切るようなこともあった。普通にできるはずのことが、できなかった。
学生の頃は、テストの成績は良かったから、こういう変なところはほとんど問題にならなかった。多少、変なことをしても、テストで良い点数を取れば文句は言われないからだ。でも、社会に出ると、それが通用しなかった。勉強と同じ感覚ではできなかった。他人と協調することが求められるから、一人で満点を取っても仕方がない。他人と「普通に」協働することが極端に苦手だということが少しずつ、わかってきた。
そんなわけで、自分はそれなりに「変な奴」なのだろう、と思いつつある。変な奴だと思われたいわけではない。普通に生きられるなら、そのほうが良い。でも、何度もそのように生きようとしてみたけれど、できなかった。なんでこんなに上手くいかないんだろうと思うことばかりだ。みんなが普通にできていることが、できない。情けない。でも、事実だ。
もう、受け入れるしかないのだろう。ほとんど諦めに近い。普通に生きることを諦めなければ生きていけない。どうすれば諦められるのか、絶賛、試行錯誤中である。普通でないことは、つまり変であることだ。変な奴として生きていかなければならない。別に、そうしたいわけじゃない。目立ちたいとも、特別だとも思っていない。ただ、できるだけ自然に、無理をせず、生きたい。それだけのことが、どうしてこんなに難しいのか。
でも、ちょっと考えてみると、自分にとって自然な生き方というものを、これまでの人生でほとんど考えてこなかったように思う。普通の人だと思っていたから、普通に生きようとしてみた。でも、上手くいかなかった。だから、こうして、人生で初めて、人生について悩んでいる。さらさらと言語化できる程度には考えている。就活のときですら、こんなに考えなかった。
だから、まあ、仕方がない。普通の人が就活のあたりで考えることを、ちょっと遅いタイミングで考えているだけだ。そういう人生もあるだろう。というか、それ自体は全然珍しくないと思う。別に、全然、普通だ。そう、普通。普通に考えて、普通に悩んで、普通に選択する。そうやって選んだ選択肢が、ちょっと変というだけの話である。