自分に素直になることの難しさ

池田大輝
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昔から優等生キャラだった。先生の言うことをよく聞き、宿題をちゃんとやり、テストではほぼ満点を取る。高校まではそんな感じだった。

小中ではバスケ部だった。バスケもスポーツも苦手で嫌いだったけどやらされていた。最初から最後まで辞めたくて仕方がなかったけれど、辞めるのは悪いことだ!と刷り込まれていたので辞めるわけにはいかなかった。丸刈りにもさせられた。こんなに嫌だったのに、辞めなかった。

高校では映画同好会を立ち上げて映画を撮っていた。これはすごく楽しかった。大会で賞も獲ったし、テレビにも出た。そのまま映画の道に進みたかったけれど、結局、全く関係のない理系大学に進んだ。「東工大から映画は行けなくないが、逆は無理」と先生に言われ、反論できなかった。

振り返ってみると、やりたいことをとにかく抑圧されてきたんだな、と思う。被害者ぶってると思われても仕方ないけれど、まあ、子供に自由はない。そういうメンタリティのまま大人になって、今に至る。

自分で自分の感情に向き合えないことは、対人関係において相手に迷惑をかけることがある。そういうことが何度もあった。自分というものに向き合わず、理解しようとしない、うわべだけの自己犠牲の精神は、こちらを信頼してくれた相手を欺く行為に等しい。そういうことが、ようやく、わかるようになってきた。

自分に素直になるということを、ずいぶんと長い間、蔑ろにしてきた。まわりの目に、社会の期待に、自分の中に築き上げた虚像に怯えていた。

幸か不幸か(結果として不幸であるが)、そういう弱い自分はまわりからは見えていなかったらしい。幼い頃からの優等生気質のせいか、それなりに信頼され、仕事を任されたりしてきた。ただ、その信頼に足るほどよくできた人間ではないことがどんどん露呈していった。その結果、相手を裏切るようなことが何度もあった。申し訳ない気持ちと、期待値を見誤った相手を責めたい気持ちの両方がある。いずれにしろ、不幸である。

こういうことを自覚できるようになったのは大きな成長だと思っている。これからは、もう少し気持ちの良い人間関係を築いていきたい。そのためには、まず、自分に素直になることから始めるのが良さそうだ。この文章も、できるだけ奇をてらわず、素直な気持ちで書こうと心がけている。

ただ、少なくとも自分にとっては、自分に素直になることは、まだ難しいと感じる。いや、そんなことはないか。危うくタイトルに引っ張られそうになった。今は、そこまで難しくない。やりたいことを尋ねられれば「アドリブ的な、即興劇のような創作をしたい」と答えることができる。「もちろん、これが全てではありませんが」という補足付きで。

きっと、こういうことをどんどん発信すべきなのだろう。今までそうしてこなかったのは、自分に素直になれなかったからだ。どこかで嘘をついている、よそ行きの「目標」を公言することにためらいがあったのだろう。そういう後ろめたさは、今はあまりない。

本当に難しいのは「他人に素直になること」だと思う。「こんなことを言ってバカにされないだろうか」とか「欲望を垂れ流すのははしたない行為だ」とか、そういうプライドが邪魔をする。いつまでも優等生を気取っている場合じゃない。そんな暇があったら、少しでも他人に素直になって、自分を理解してもらうほうがはるかに幸せだろう。

と、できるだけ素直な気持ちで書いてみた。素直度は、70%くらいかな。精一杯の、素直な評価です。

@radish2951
ゲーム作家。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink