その人は、まさか自分がライバル視されているだなんて思いもしていないだろう。あるいは、とっくに気づいていて、気づかないフリをしているだけかも? 視界に入ってすらいないか、視界のど真ん中にいるかのいずれかだと思う。
今までの人生で、こんな気持ちになったことはなかった。映画の大会で賞を逃して悔しい思いをしたことはあったけれど、それは賞に対する悔しさであって、賞を獲った人に対する悔しさではなかった。むしろ、大したことない奴に負けた悔しさのほうが大きかった。この人に追いつきたい、と思ったことは、少なくとも映画を撮っていた頃にはなかった。
本当に、ここ数年のことだ。この数年間、ずっと心が燃えている。心が燃えているせいで、ずいぶんと無茶をしたし、いろんな人に迷惑をかけた。会社を辞めて、婚約者とも別れた。ここには書けないこともたくさんした。けれど、心の炎は消えなかった。本当に、不思議なのだ。数年前までは考えられなかったような人生を、私はいま、歩んでいる。なぜ恋愛ゲームをつくっているのか、自分でもよくわからない。その資金を得るために、なぜ研究職に就いたのかは、もっとわからない。自分で積極的に選んだ道ではない。心の内燃機関が、ずっと暴走しているのだ。
しかし、暴走していては、なかなか追いつくことができない。むしろ、その背中は遠ざかっていく。だから、線路を整備して、エンジンをメンテナンスして、ちゃんと追いつけるよう努力している。日々書いているエッセィは、石炭を燃やした余熱で沸かしたお湯のようなものである。お湯の温度は、汽車が安全に走っていることをたしかめるバロメータになる。あるいは、美味しいコーヒーを淹れるのにちょうど良いかもしれない。そんなジョークさえ、少し前までは言えなかった。
追いつきたい。追いついて、同じスタートラインに立ったら、正々堂々勝負したい。実は、その舞台をすでに計画してある。どっちが勝つとか負けるとか、そんなことはどうでも良くて、ただ、追いついて、同じ景色を見たいのだ。そのためなら、なんだってできるような気がする。毎日のように制作を進めている。毎日14時間くらい働いている。数年前には考えられなかったことだ。
なんてことを、面と向かって伝えたら、たぶん、びっくりするだろう。引かれてしまうかもしれない。いや、それはないかな。その人だって、引くくらい努力しているはずだから。とにかく、今は走り続けるしかない。頑張りましょう、お互いに。