数学ガールと演劇論

池田大輝
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公開:2025/8/3

『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』という本がある。結城浩先生の『数学ガール』シリーズの3作目にあたる。主人公である「僕」が、女の子たちと一緒に数学をする青春物語である。れっきとした数学書でありながらラブコメでもあるという稀有な本で、私は大学生の頃からのファンだ。

ゲーデルの不完全性定理は、ある種の数学の理論は不完全であるという数学の定理である。が、「数学は不完全である」などと誤解されることも多い。これがなぜ誤解なのか気になる人は、ぜひ本作を読んでみると良い。誤解を解き、定理を正しく理解するための態度が本作では貫かれている。それを端的に言い表すのが、「知らないふりゲーム」という言葉だ。

たとえば、1+1=2という定理がある。誰でも知っていると思う。しかし、証明するのは結構難しい。証明もなにも、当たり前でしょ、で終わってしまう。1も2も+も当たり前。幼稚園児でも知っている。りんごとみかんが1個ずつあれば、合わせて2個。でも、それは数学の証明とはいえない。誰もが当たり前に知っていることを証明するためには、「知らないふり」をしなければならない。それが「知らないふりゲーム」である。

1とはなにか。2とはなにか。+とはなにか。=とはなにか。そんなの知ってるよ、と言いたい気持ちをぐっと堪えて、知らないふりをするところから数学は始まる。まず、1を定義しよう。1というものを知らなければ、そもそも足すこともできない。1を知るうえで、0というものが重要らしい。では、0とはなにか。自然数というものがあって、0は自然数の定義に含まれていて……。

といった具合に、知らないふりをすることで、当たり前に知っていたことを改めて確認することができる。それが数学の証明だ。ゲーデルの不完全性定理も、同じような手続きで証明することができる。そして、この「知らないふりゲーム」は、一見、全く関係ないように見える分野にも応用することができる。そのひとつが演劇だ。

舞台であれ映画であれアニメであれ、役者はあらかじめ台本を読む。舞台や映画なら、基本的にはセリフを覚えなければならない。つまり、役者は、物語が始まる前から、物語の展開を「知っている」。ここで、「知らないふりゲーム」である。

ストーリーも、キャラクター設定も、登場人物も知らない。自分の名前とか、今なにをしているかとか、知っている最低限の情報から次のアクションを考える。即興演劇またはインプロと呼ばれたりするらしい。それは、生きている人間が当たり前にやっていることだ。いつ、どの瞬間にも人生に台本はない。当たり前のことを示すためには、当たり前に考えてはいけない。「知らないふりゲーム」は、それを教えてくれる。数学の定理を証明することと、別世界の誰かを演じることは、ある意味ではとてもよく似ている。

『数学ガール』がもうすぐ完結する。シリーズ最終巻『数学ガール/リーマン予想』が8月に発売される。ついに終わってしまうと思うと、胸が苦しい。数学書としても好きだけれど、それ以上に、ラブコメとして楽しませていただいているいちファンとしては、「僕」が誰と結ばれるのかがとても気になる。物語はどこへ向かうのか。人生は知らないことだらけだ。知っている状態よりも、知らないときのほうが楽しい。無知であること。純粋であること。子供でいること。その楽しさを、数学と演劇は教えてくれる。楽しみにしています。

@radish2951
恋愛ゲーム作家。毎日21時頃にエッセィを更新しています。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink