これまでに何人かの人とお付き合いをしたことがあるけれど、遊びで付き合った人は一人もいない。全部、真剣な交際だった(と、少なくとも私は思っている)。中途半端な気持ちで付き合うのは良くないことだとずっと思ってきたし、今もそう思っている。
が、しかし、それが必ずしも良いこととは限らないのではないか、という気が最近、してきている。恋愛ではなく、仕事を例に考えてみる。今までに、いくつかの会社を経験してきた。学生時代はアルバイトをたくさんしたけれど、卒業してからバイトの経験はない。基本的には、どの会社にも長く勤めるつもりで入った。のだが、結果的には短期離職を繰り返している。3年以上続いた仕事はない。
もちろん、最初から職を転々としようと考えていたわけではない。できれば長いこと勤めたいし、短期離職が積み重なると長期的に不利になることもわかっている。ただ、続けたくても続かないのだ。
大きな原因の一つに、私が、仕事というものを大袈裟に捉えすぎていた可能性がある。要するに「重い」のだ。今度の転職は絶対に成功させなければならない。ここで失敗した次はない、と。冷静に考えてみれば、そんなことはない。仕事は、選ばなければいくらでもある。10回以上転職する人だって、最近は珍しくない。そういう人には、そういう人のキャリアがある。
恋愛も同じだった。真剣なのは、悪いことじゃない。ただし、それが行き過ぎると、視野を狭め、柔軟な思考を縛る可能性がある。どれだけ相手を想っていたとしても、相性というものは無視できない。これは仕事も全く同じ。どんな人でも、会社でも、相性というものは必ずある。真剣すぎると、相性が見えなくなってしまう。
相性とは、かなり感覚的なものだと思う。ほぼ、直感に近い。なんとなく合いそうだな、とか、苦手だな、とか。最初に会ったときの印象が正解である確率は、体感的には低い。「ここしかない、この人しかいない」という感覚は、大抵の場合、間違っている。初恋の相手を運命の相手だと思い込んでしまうのがこれに当たる。逆に、「ここは合わない、この人は合わない」という感覚は、大抵の場合、正しい。合わないな、と思う人と付き合って、うまくいった試しがない。
要するに、ある程度付き合ってみないと、相性などわかるはずがないのだ。よほど強い直感でもない限り、その相手が運命の相手かどうかなんてわからない。と、考えると、お試しで、つまり「遊びで」付き合ってみることには、それなりの妥当性があるといえる。最初からガチガチに緊張するよりも、それくらいリラックスしているほうが第一印象が良いというメリットもありそうだ。
考えてみると、私が恋愛ゲームをつくり始めたのも、ささやかな理由からだった。ほんの、思い出づくりくらいのつもりだった。それが今では、子供のように大切な存在になりつつある。運命的な出会いは、思えば、どれもふとしたきっかけだった。とはいえ、ふとしたきっかけの中にも、運命というものは存在しうる。劇的で、ドラマチックな出会いだけが運命の出会いとは限らない。ステレオタイプに囚われてはいけない。運命は、語られるたびに大きくなっていく。それはそれで美しいのだけれど、そもそも始まらなければ物語ではない。小説の最初の文字は、案外、適当に書かれていたりするものだ。