『Here It Goes Again』という楽曲のミュージックビデオがある。
アメリカのバンド「OK Go」の曲だ。知らない人はぜひ観てほしいし、知っている人も久しぶりに観てほしい。
8台のトレッドミル(ランニングマシーン)の上で踊る画期的なMVで、初めて見る人は思わずニヤリとしてしまうだろう。こんなこと、なかなか思いつかない。OK Goのミュージックビデオは、これ以外にも斬新なアイデアを取り入れたものばかりだ。
このMVの面白さは、なんといっても、トレッドミルの上をスケートのように滑るところだろう。2×4台のトレッドミルが交互に逆向きに配置されていて、そこに一歩ずつ足を踏み出すと、まるでスケートのように滑って見える。シンプルでありながら、アイデアも見せ方も面白い。公開されたのは遥か10年以上前だけれど、このMVはたいへんバズった。
しかし、よく見てみると、この「スケートダンス」はMV全体でほんの数回しか登場しない。もちろん、MVを通してトレッドミルはユニークに活用されているのだけれど、なんというか、他のパートは、スケートほどの面白さはない。まあ、そんなものか、という感じ。二度目以降のスケートも、一度目ほどのインパクトはない。そのように考えると、このMVの面白さは最初の数秒のスケートダンスでピークを迎えていて、割合でいえば全体のわずか1%程度でしかない。
人によっては、もっとスケートダンスを増やすべきだ、と物足りなく感じる人もいるだろう。おそらく、そのように指示するであろう映像ディレクターは少なくない。でも、このMVが面白いのは、面白さを「欲張っていないから」だと私は思う。
ここのところ、ショート動画がすっかりネットに溢れるようになった。ダンスとか雑学とか動物とか、あるいはただ単に下品なものとか。とにかく、視聴者の目をいかに釘付けにするか、言い換えれば、いかに中毒にさせるかに特化した映像が氾濫している。途中で離脱してしまわないように、早口で捲し立てるようなナレーションが使われたりする。端的に不快だし、そのような広告を見たくないから、YouTubeには課金しているし、TikTokはやっていない。
そのようなものには「余裕」がない。余裕がないものは見苦しいし、面白くない。文字がぎっしり詰め込まれたパワーポイントみたいに、ただただ自己主張が強く、読み手のことを考えていない。
昔に比べて、余裕が失われているように思う。これは映像に限った話ではない。いろんなものが、人が、余裕を失っている。のんびりと構えているとサボっていると思われるし、余計なことをすると「余計なことをするな」と怒られる。スキマ時間を有効活用、みたいな言葉もよく聞く。5分くらいぼーっとしたら良いのでは、と思うけれど、その5分を無駄にしてはいけないと思う人が少なくないらしい。
時間は有限で、貴重だ。でも、忙しくせかせかすることは、必ずしも時間の有効活用を意味しない。たまにはゆったりと、ゆっくりと、ぼーっとしてみるのも悪くない。真剣にぼーっとしようとすると、5分でも結構長い。10秒くらいでスマホを見たくなるだろう。いかに普段、ぼーっとしていないかがわかる。
余裕、余白はデザインの基本だ。当たり前に思うかもしれないけれど、当たり前にはできないから「基本」とされている。どうしても余白にあれこれ詰め込みたくなる。どうやら人間はそのようにできているらしい。そこをぐっと堪えて、余白を、余裕を持つ勇気を持とう。大事なのは、大胆に余裕を持つこと。こんなに余裕を持っていいのだろうか、と不安になったときは、OK Goのミュージックビデオを思い出せば良い。この面白さは、99%の「面白くなさ」から生まれているのだ、と。
余談だが、OK Goは売れるにつれてMVも豪華になっていった。お金がかかっていてすごいなあ、とは思うけれど、正直、昔のほうが好き。お金がかかった分、少しでも元を取ろうとする「余裕のなさ」がどうしても透けて見えてしまうのだ。このように、本論に関係のない余談を入れる勇気を持とう、と綺麗にまとめようと試みたけれど、かえって余白を埋めてしまったかもしれない。余裕を持つことは、想像以上に難しい。