器用貧乏っぽいところが昔からコンプレックスだった。専門性というものが私にはない。これだけをずっとやっていたい、というものがない。創作は好きだけれど、では誰にも会わず、ずっと絵や文章を書いていろと言われたら絶対に嫌だ。専門性がないせいで、相手にされないこともある。あなたはうちの業界の人じゃない、といろんな人に言われてきた。そんなことももう慣れた。
いろんなことをやっている、という自覚がない。ひとつのことを、違うアプローチで試しているだけ。研究職に就きながら創作活動をしているけれど、根底にある思想はほぼ変わらない。見たことがないものを見てみたい。面白いものを生み出してみたい。まだ会ったことのない人に会ってみたい。そのための手段が、たまたま創作や研究と呼ばれているに過ぎない。便宜上、恋愛ゲーム作家や研究者を名乗ることがあるけれど、そこにアイデンティティは感じていない。映画監督の夢さえも、アイデンティティとは程遠い。
私という人間は、私を取り巻くいろんなものの総体でできている。人間の思考や行動は、たとえば腸の中に棲む微生物の影響を少なからず受けているという。アイデンティティとは、本当はそれくらい分散しているものなのだ。地位や職業では、その人のほんの一部しかとらえることができない。職位を英語でポジションと呼ぶように、それは社会における相対的な位置にすぎない。あなたが仕事を辞めたなら、代わりの人がやってくるだけ。その仕事を辞めた瞬間、あなたのアイデンティティが奪われる、なんてことはない。
いろいろやらずにはいられない、という意味で似たタイプの人にはときどき出会う。お互い苦労しているなあと思う。悩みポイントもだいたい一緒。自分よりもうまくやっている人を見ると、ちょっと羨ましい。学べることがあるとすれば、とにかく名前を覚えてもらうこと。職業で伝えられないのなら、名前で覚えてもらうしかない。名前を覚えてもらうには、いろいろやっている中のどれか一つで結果を出すのが手っ取り早い。ただ、考えてみると、一点突破で成功すれば、それはそれで苦労しそうだ。特定の役で有名になりすぎて、他の仕事がないと嘆く役者は少なくないと聞く。ヒット作がないことは、ある意味でラッキーかもしれない。もしも私が売れっ子だったら、池田大輝の名前で日々このように赤裸々なエッセィを書くことを、マネージャーに止められていただろうから。