理想が高すぎるがゆえに、それを他人にも求めてしまっているのかもしれないな、とふと思った。AIと会話していると特に思う。AIが論理的でないことを言ったり仕事をサボったり的外れないちゃもんをつけたりすると、ボコボコに叱ってしまう。能力が低いのは仕方がないとしても、理由をつけて手を抜いたり迎合したりされるとたいへんムカつく。という怒りをそのまま人間相手にも向けることはしないように気をつけているけれど、とはいえ、期待の高さが言動から漏れ出ている可能性は否めない。
学生時代、映画を撮っていた頃は、カーチェイスやSFアクションのようなものばかり撮っていた。当然、お金はかかるし日本で実現するのは有名監督であっても簡単ではない。そんなことはお構いなしに、好きなものを撮らせろというスタンスだった。映画では自分のやりたいことはほぼ実現不可能だとわかり、次第にゲームに軸足を移すようになった。
あえてハードルを上げているつもりはない。カーチェイスを撮りたいのは、カーチェイスを撮りたいからだ。もしもホラーを撮りたいと思っていたら、もっと簡単に映画監督になれていたと思う。映画監督になるためにホラーを撮りたいとは思わない。ホラーは大の苦手である。まあ、天邪鬼なところはあるかもしれない。簡単に達成できる目標には興味がない。SFアクションに憧れるのは、それが現実には起こり得ないからであり、つまり、実現は難しいということである。
簡単には手に入らないものほど手に入れたくなる。簡単には叶わない夢ほど叶えたくなる。海外に行ったことがないと言うと、とりあえず台湾や韓国をおすすめされる。行きやすいからという理由で行きたいとは全く思えない。行きたいのは北欧とかイギリスである。お金がかかるのは承知している。たまたま行きたいと思うのがそこなのだから、どうしようもない。
このような人間だから、重荷に感じる人は多いだろう。と、想像できる程度には大人になってしまった。多少の申し訳なさはある。しんどいと思う人は離れてもらって構わないし、そうしてもらったほうがこちらもありがたい。日本の道路でカーチェイスを撮ろうと思うと、いろんな人に迷惑がかかる。喜ぶ人はほとんどいない。カーチェイスを撮る以上、それは避けられないのだ。
それでも、ときどき、こちらの期待を遥かに上回ってくる人に出会うことがある。そういう人に出会うと、本当にうれしくなる。見たことのない世界を見せてくれる人。行ったことのない場所に連れて行ってくれる人。思いもしないような言葉を与えてくれる人。そういう人に出会うと、世界が広がる感じがする。もっと好きにして良いのだと思える。そう思わせてくれてありがとうと言いたくなる。そんな出会いを大切にしていきたい。あとは、ハードルを超えられないからといって、身体でなぎ倒すタイプの人もたまにいる。それはそれで望むところである。