役に立たない人間であれ

池田大輝
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公開:2025/4/3

「誰かの役に立つ」とは、言い換えれば「他人に利益をもたらす」ことである。だから、誰かの役に立ちたいのなら、恵まれない人にお金を分け与えるとか、ボランティア活動をするといったシンプルな方法が考えられる。それなのに、「役に立ちたい」と言いながら、仕事をする人が多い。仕事は、労力を提供する対価にお金を受け取る行為である。本当に役に立ちたいのなら、報酬など受け取らず、ただ役に立てば良いのではないか。

見方を変えると、役に立つことは、それくらい難しいことなのかもしれない。熟練の修道士だって、見返りを求めずに与えることは簡単ではないだろう。そもそも、与えることのできる総量はたかが知れている。誰か一人を救うことは簡単じゃない。ましてや、人類の役に立つなんて、ほとんど夢物語みたいなものだ。

人間の役に立てるものは、人間だけに限らない。たとえば、AIは、人類の役に立っていると言っても過言ではないだろう。ピンとこないかもしれないけれど、じきにわかると思う。電気が当たり前に人類の役に立つのと同じように、AIが役に立つ未来はそう遠くない。もちろん、良いことばかりではない。それは人間も同じだ。役に立つはずの人間が、平気で誰かを傷つけたりする。それに比べれば、電気もAIも、きわめて安定したメリットを提供する。

そうなると、人間は相対的に、どんどん役に立たなくなっていく。役立たずの人間はこれでもしとけ、とAIに命令される未来はすでに現実である。人間がいかに役に立たないか、人間は思い知ることになるだろう。

そう、役に立たないのだ。人間は人間を過信してきた。大人になったふりをしながら、中学生みたいな全能感に支配されてきた。つまらない内輪ノリで盛り上がり、いがみ合い、殺し合う。それが内輪ノリであることにさえ気付かない。子供が社会の役に立たないように、人間は世界の役に立たない。それを認めたくない幼稚なプライドが、人間を神と錯覚させてきた。その幻想が、もうすぐ、終わる。

きっと、それが自然な姿なのだ。人間は無力であり、そのあたりに生えている草や木や花とほとんど変わらない。違いがあるとすれば、それはアイデンティティという言葉で説明できるだろう。私が私であること。あなたがあなたであること。役に立とうが立つまいが、決して揺らぐことのない、世界に刻まれた不可逆の理。役に立つことは、あなたでなくてもできる。あなたであることは、あなたにしかできない。役に立つ人間ではなく、役に立たないあなたでいてほしい。

@radish2951
ゲーム作家。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink