先週の金曜日は給料日だった。明細を見ると「子育て支援」という見慣れない項目が五百円ほど記載されていた。私は結婚していないし子供もいない。五百円ではオムツ代にもならないだろう。事務処理ミスか、冷やかしか、予言のいずれかだと思った。
調べてみたら、この五百円は私がもらえるものではなく、子育てする人を支援するために給与から差し引かれるお金だとわかった。要するに社会保障の一種である。子育てをする人のためなら、むしろ払いたいと思う。子供は国の宝だから、ではない。国の宝という表現が意味不明だし、仮に宝だとして、若いうちしか宝として扱わないのは論理が破綻している。せっかく育てた宝に対して、ブラック企業(またはブラック政府)は過酷な労働を強いている。
子育ては見るからに大変である。妹がたくさんいるから小さい頃からよく見てきたし、つい先日、姪が産まれた。勝手に産んだ人の子育てをなぜ支援する義理があるのか、という意見を聞くことがある。別に、ボランティアのようなものだと思えば良い。大変な目に遭っている人を助けたいと思うのは、ごく自然な気持ちだろう。それが制度になっているせいで、身構えてしまうだけのこと。
人間、に限らずほとんどの生物は子供を守るようプログラムされている。国の宝だから守るのではなく、本能がそうさせるのだ。子供を産みたいという気持ちもまた本能である。子供を育てることと産むことは似ている。産む前から子供は存在する、と言い換えることもできる。セックスする前から子供は生まれている。だから、愛すべき我が子を育てるために、セックスせざるを得ないのだ。
という解釈は、生物学的にはもちろん正しくない。とはいえ、生物学はあらゆる正しさを保証するものではない。生物学的に正しいから、子供を産むわけではないだろう。ではなぜ子供を産みたいと思うのか? 私にはまだ、わかりません。