運命というものを私は素朴に信じている。自分にはどうすることもできない、超自然的な力。偶然と呼ばれたりもする。これまでの人生で、数え切れないほどの偶然があった。クラスメイトとの出会いも、大学も、ファルコムも。受験や就職は実力主義の側面がゼロではないけれど、それは、多少マシな(当たりの出やすい)サイコロを振るということでしかない。当たりかどうかは最初から決まっていない、という点もサイコロによく似ている。1と6のどっちが正解かなんてわからない。運が良かったかどうかは、あとからわかる。
運命によって導かれた先で、新たな出会いが待ち受けていることがある。その出会いも、やはり偶然だ。入念に下調べをして、徹底的に勉強をして、希望の会社に入ったとしても、一緒に入ってくる同期は選べない。その中に未来の上司がいるかもしれないし、積年のライバルがいるかもしれないし、生涯のパートナーがいるかもしれない。そのような出会いは縁と呼ばれたりする。コネクション、という言い方はあまり好まない。縁もやはり運であり、コントロールできるものではない。ささやかな縁が、バタフライエフェクトのように、未来をがらりと変えてしまうことだってある。あの縁のおかげで、と振り返ったとき、そこに恩が生まれる。
恩を返すには時間がかかる。いくつもの運や縁に導かれて今の自分がいる、と認めることは簡単じゃない。すべて才能や実力のおかげだと信じることは簡単だ。多少、運が悪くても、実力があればパワープレイでなんとかなる。そういう力を生まれながらに持っていることは才能であり、やはり、運である。恩を感じることができるのは、自分の限界を知ったときだ。一人ではどうにもならない壁にぶち当たり、絶望し、そんなときに手を差し伸べてくれる人に出会い、それが運であり、縁になり、恩と知る。
運命の女神はきっといる。運命の女神が、私たちに手を差し伸べることはない。ただ、じっと世界を眺め、しずかに微笑んでいる。私たちは神になれないけれど、同じように微笑むことはできる。運も、縁も、恩も、コントロールできない。ならば、しずかに微笑もう。星は、見つめる者に光をくれる。神は、微笑む者に微笑みをくれる。